昨日(きのう)、引き出し(ひきだし)を片付けて(かたづけて)いるときに、一枚(いちまい)のカードを見つけた(みつけた)。それは前(まえ)に私の後任(こうにん)で日伯(にっぱく)に派遣(はけん)されたJICAの青年(せいねん)ボランティア、ひろみちゃんがここでの任期(にんき)を終え(おえ)、日本に戻る(もどる)ときに渡して(わたして)くれたもので、
メッセージには「日本へ行くときは連絡(れんらく)してください。」
と書いて(かいて)あった。
何気(なにげ)に読んで(よんで)、あれ?と思った(おもった)。もしも私だったら、
「日本に来るときは連絡してください。」
と書いていたと思う。
ひろみちゃんは日本に帰る(かえる)と決まって(きまって)も、彼女(かのじょ)の心(こころ)はブラジルにあって、彼女の話(はなし)の中心(ちゅうしん)がブラジルになっていたからだろうと思った。
日本語学習者(がくしゅうしゃ)がよく混乱(こんらん)する表現(ひょうげん) に「行く」と「来る」があるが、これは話し手(はなして)の位置(いち)が重要(じゅうよう)なポイントになってくる。
基本的(きほんてき)には話し手がもうその場(ば)にいるなら、「来る」を使うし、いないのなら「行く」を使う。
例えば(たとえば)ショッピングで話をしているときは
A:「明日(あした)、学校(がっこう)に行く。」?
B:「もちろん行くよ。」
自分の家(いえ)から、友達(ともだち)に電話(でんわ)して、
A:「これから、私の家に来る。」?
B:「行くよ。」
となる。
ただ、日本語の場合はこれにプラス「話し手の気持ち(きもち)」が大事(だいじ)になってくる。だから、最初(さいしょ)に話したような違い(ちがい)がでてくる。
国(くに)に帰ると決まった時点(じてん)で、普通は気持ちはもう国に帰っているので、普通は「来る」を使う(つかう)が、心がまだすんでいる国にあるのなら、「行く」と使ってもおかしくないのかもしれない。
ちなみに「行く」も「来る」も、尊敬語(そんけいご)だと、これまた同じ(おなじ)「いらっしゃる」を使う(つかう)ことになる。
日本人同士(どうし)でも「あれ?」と思う表現(ひょうげん)だもの、外国人(がいこくじん)にとっては面倒(めんどう)なのは当たり前(あたりまえ)。
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