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2012年9月24日月曜日

マナウス日本語弁論(にほんごべんろん)・お話大会(おはなしたいかい)2012

22日に16回目(かいめ)のマナウス日本語弁論・お話大会(にほんごべんろん・おはなしたいかい)があった。

ここでの弁論大会は全国(ぜんこく)大会にあわせて、16歳(さい)以上(いじょう)の人が参加(さんか)、それ以下(いか)の子(こ)はお話大会に参加する。

まずは、弁論大会から。今年は19人が参加。もう少し(すこし)参加者(しゃ)をふやしたいけれど、なかなか時間(じかん)がなかったりで、難しい(むずかしい)。

弁論大会
私は今年(ことし)、事務所(じむしょ)で手伝い(てつだい)をする係(かかり)だったので、あまり会場(かいじょう)へ見に(みに)行く(いく)ことができなかったが、初心者(しょしんしゃ)の参加者たちが一生懸命(いっしょうけんめい)長い(ながい)文(ぶん)をおぼえ、発表(はっぴょう)しているのを見て、よくがんばっているなと思った(おもった)。

生徒の作文(さくぶん)づくりは先生(せんせい)が手伝うことになっている。11月の全国大会に出場(しゅつじょう)して、さらにいい結果(けっか)を残す(のこす)ためには、遅くても(おそくても)7月(がつ)くらいから練習(れんしゅう)をはじめて、9月の地区(ちく)大会で勝ち(かち)ぬかなくてはいけない。今年の全国大会はマナウスで行われる(おこなわれる)。

続いて(つづいて)、お話大会。こちらは18人が参加。こちらも年々(ねんねん)人数(にんずう)が減って(へって)きている。原稿(げんこう)を見ないで、みんながんばっていた。

お話大会
ちなみに、私のクラスの子どもたちを誘った(さそった)ところ、今年はほぼ全員(ぜんいん)男の子のクラスなので、はずかしがって参加したくないとのことだった…。失敗(しっぱい)したな。無理(むり)にでも参加させるべきだった…。

昔(むかし)は今の倍(ばい)くらい子どもの参加があった。

きっかけ作りも先生のお役目(やくめ)。チャレンジする前(まえ)はいやだったけれど、してみたらとってもいい経験(けいけん)になった!ということもよくあるはず。来年から子どもたちにもっと意欲(いよく)をもたせるいい方法を考えないと…。

事務所でも集計(しゅうけい)や表彰状(ひょうしょうじょう)づくりに大忙し(おおいそがし)

2012年9月5日水曜日

日系人(にっけいじん)と非日系人(ひにっけいじん)の先生(せんせい)

ブログをはじめてもうすぐ1年(ねん)。この1年で、日伯(にっぱく)の先生(せんせい)たちもがんばっているなーと思う(おもう)ことがよくある。というわけで、今日(きょう)は先生の話(はなし)。

ここ、マナウスにも色々な(いろいろな)日本語(にほんご)の先生がいる。

日系人(にっけいじん)の先生、非日系人(ひにっけいじん)のブラジル人の先生、日本人だが子どものときに移住(いじゅう)してきた先生、大人(おとな)になってから移住してきた日本人の先生などなど。

私がここにはじめてきた12年前(まえ)は、たしか日本人の先生と3人と、日系人の先生が1人、それにボランティアで領事館(りょうじかん)の領事夫人(りょうじふじん)が授業(じゅぎょう)を担当(たんとう)していた。非日系人の先生がいなかったのは、日本語を話す(はなす)ことはできても、教える(おしえる)レベルまでたどりついた人が少なかった(すくなかった)からだと思う(おもう)。学校(がっこう)も今(いま)にくらべるとまだ小さく(ちいさく)、こじんまりとしていた。

先輩(せんぱい)の先生方(がた)に色々なことを教えていただきながら、半年(はんとし)くらいすぎたころ、急に(きゅうに)人手(ひとで)がたりなくなり、先生を探す(さがす)ことになった。

もちろん「探す」ときまってから、あたりまえのごとく、事務所(じむしょ)の人も日系人を探しはじめたが、なかなか適当な(てきとう)人がみつからなかった。

しばらくたったころ、ちょうど私と同じく(おなじく)青年(せいねん)ボランティアで事務員(じむいん)をしていた中野(なかの)さんが、「ヒカルドはどうですか?」と事務の中村(なかむら)さんにきいた。きけば、ヒカルドは日伯の卒業生(そつぎょうせい)で、日本語が大好き(だいすき)な生徒(せいと)だったらしい。

迷って(まよって)いる時間(じかん)もなかったので、中野さんにたのんでヒカルドと電話(でんわ)で話してみた。話をして、私はすぐに「できるかも」と思った。電話で話したにもかかわらず、彼(かれ)の発音(はつおん)やイントネーションはとてもきれいだった。

すぐにおねがいして、ヒカルドが私の知る(しる)かぎり日伯初(はつ)の非日系人の先生になった。

当時は日系人の生徒がとても多かった(おおかった)。非日系人のヒカルドには「日系人ではない」というだけで、ハンディがあった。多くの生徒や生徒の両親(りょうしん)が「ガイコクジン」の先生というだけで、「発音やイントネーションが間違っている(まちがっている)のではないか」、「間違ったことばをおしえるのではないか」と心配(しんぱい)し、その分(ぶん)ヒカルドを見る(みる)目(め)もきびしかった。

でも、ヒカルドはやめることなく日本語を教え続けて(つづけて)、今年(ことし)で12年になる。日本で半年間(はんとしかん)研修(けんしゅう)も受けて(うけて)きた。私も助け(たすけ)、助けられて、いっしょにすごし、今では経験(けいけん)もつんだので自信(じしん)を持って授業をしていると思う。

もちろん、ここまでたどりつくには色々なことがあったけれど。

当時(とうじ)、悩み(なやみ)があるのは非日系人の先生だけかと思ったが、私の生徒は日系人であることで、これまた悩みをもっていた。「日本人の顔(かお)をしているのに、どうして日本語が通じない(つうじない)んだ。」と会社(かいしゃ)の上司(じょうし)からいわれたとか、「日系人だから日本語を話すと思っていたのに、話せないからがっかりした。」と言われたという生徒が何人も(なんにんも)いた。

日系人の先生は「日本人の血(ち)がまざっている」というだけで、生徒から色々な情報(じょうほう)を求め(もとめ)られる。また、先生も家庭で使っていることばが、他(ほか)の人にも通じるのか、家族の中だけで通じることばなのかを知らなくては(しらなくては)いけない。「家族とつかっていたことばを生徒に教えてみたら、他の人には通じませんでしたといわれた…。」ということもある。そういうことばを見極める(みきわめる)のも、実は(じつは)とてもむずかしい。

色々な面(めん)で、非日系人、日系人、それぞれの悩みがあり、それは今もあまり変わって(かわって)いないのかもしれない。でも、最近(さいきん)は前(まえ)ほどそれが感じられ(かんじられ)なくなった。

非日系人の先生はそのハンディにまけないくらい個性的(こせいてき)で楽しい(たのしい)授業(じゅぎょう)で生徒にやる気(き)をもたせているし、生徒もまた自分の興味(きょうみ)があることを楽しみながら勉強(べんきょう)しているようす。

日系人の先生も非日系人の先生のパワーにまけないように授業を工夫(くふう)しているし、日系人であることでブラジル人であり、日本人であることをいかし、自信をもって授業しているようにみえる。

数日(すうじつ)まえ、非日系人の先生が、また上級(じょうきゅう)のクラスを担当(たんとう)するようになったのをしって、とてもうれしくなった。

生徒がもつ先入観(せんにゅうかん)をかえることはむずかしいけれど、そんな生徒にも文句(もんく)を言わせない授業をすることに、日系人も非日系人も関係(かんけい)ないと思う。

「日本人だから」といって、みんな教え方(かた)をしっているわけではないし、教え方がかならずしも「うまい」ときまっているわけでもない。

私も自分が日本人だと思うことに甘んじ(あまんじ)ないで、今、努力(どりょく)をしている先生たちからも色々なことをまなばなくては。