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2011年9月28日水曜日

今までの私(わたし)

ちょうど20年前(ねんまえ)、高校(こうこう)の語学研修(ごがくけんしゅう)で初めて(はじめて)アメリカへ行き(いき)、一か月(いっかげつ)ほどホームステイをさせてもらった。ホームステイ先(さき)に3人の小さい(ちいさい)男の子(おとこのこ)がいて、ことあるごとに「日本語(にほんご)でなんていうの?」と聞いて(きいて)きた。始め(はじめ)のうちは簡単(かんたん)に答えて(こたえて)いたが、いくつか難問(なんもん)に当たった(あたった)のを覚えて(おぼえて)いる。「日本人ていっても、結構(けっこう)日本語をわかってないもんだなぁ。」と思った(おもった)。

日本に戻って(もどって)から、本屋(ほんや)で『日本語教育能力検定試験(にほんごきょういくのうりょくけんていしけん)』という問題集(もんだいしゅう)を見(み)つけて買った(かった)が、中身(なかみ)を見てみたら、あまりおもしろそうではなかったので興味(きょうみ)を失くし(なくし)、そのまま部屋(へや)の本棚(ほんだな)にしまっておいた。

大学(だいがく)を卒業(そつぎょう)し、そのまま就職(しゅうしょく)をする予定(よてい)だったが、地下鉄(ちかてつ)で日本語教師養成学校(にほんごきょうしようせいがっこう)のチラシを見て急に(きゅうに)興味がわいてきた。結局(けっきょく)、突然(とつぜん)進路(しんろ)を変え(かえ)、その学校に通う(かよう)ことにした。

半年(はんとし)で学校を卒業(そつぎょう)し、その後(あと)、札幌(さっぽろ)のにほんごボランティアグループ「STEP.J!」に所属(しょぞく)しながら2年(ねん)ほどいろいろな国(くに)の人に日本語を教えた(おしえた)。当時(とうじ)、このグループはまだできたばかりで、先生を担当(たんとう)した者(もの)もアシスタントの者も、ほとんどが経験(けいけん)のないものだった。それが逆に(ぎゃくに)良かった(よかった)のではないかと思う。グループのメンバーは皆(みな)教案(きょうあん)をまじめに作り(つくり)、会議(かいぎ)を頻繁(ひんぱん)に行い(おこない)、研修(けんしゅう)があるごとに参加(さんか)した。生徒の身(み)になって、みんなが授業(じゅぎょう)を計画(けいかく)した。生徒も着々と(ちゃくちゃくと)増えて(ふえて)いった。

この経験があったからこそ、今の私があると思う。生徒の質問(しつもん)に答える(こたえる)ことによって、自分(じぶん)の勉強(べんきょう)になり、生徒の成長(せいちょう)も見る(みる)ことができる。1年前(まえ)に全く(まったく)話せなかった(はなせなかった)生徒が、普通(ふつう)の会話(かいわ)を話せるようになる。見ていて、生きがい(いきがい)を感じた(かんじた)。

時間(じかん)がたつのは本当に(ほんとうに)早い(はやい)。手探り(てさぐり)状態(じょうたい)で始めた(はじめた)日本語の授業も、来年(らいねん)で15年を迎える(むかえる)。今まで教えてきた生徒の数(かず)も、1千人(せんにん)は超えた(こえた)。道(みち)で昔(むかし)の生徒に声(こえ)をかけられても、すぐに名前(なまえ)が出てこない(でてこない)。
「あ~、あの子、8年位前(くらいまえ)に教えたな…。ちょっとふっくらしたな…。…で、名前何だっけ???」
私はこれが一番(いちばん)嫌い(きらい)。名前を覚えて(おぼえて)いないのがとっても失礼な(しつれいな)ことだと感じる。だって向こう(むこう)は「きょうこせんせ~い!!」って声をかけてくれるから。意地(いじ)でも思い出そう(おもいだそう)とする。思い出すのに5分(ふん)はかかる。たまに10分。でも、最近(さいきん)はこれすらできない…。

ネットなどに疎い(うとい)私がブログを始めようと思ったのも、こうしたことを回避(かいひ)するため。生徒のことや、生徒が出してくれた質問(しつもん)を日記(にっき)のように書き留めて(かきとめて)おきたい。思い出したくても思い出せないことでも、これを見てパッと思い出せるように。根(ね)がマメな方(ほう)じゃないので毎日(まいにち)の更新(こうしん)は無理(むり)だと思うけど。

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