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2013年5月14日火曜日

「だけ」と「しか」

自分(じぶん)が好きな(すきな)おかしを見て(みて)、「おかしが3つだけある。」というのと、「おかしが3つしかない。」というのは何(なに)が違う(ちがう)のだろう。

生徒(せいと)と話す(はなす)とき、この違いが難しい(むずかしい)んだなと思う(おもう)ことがよくある。

日本語(にほんご)を勉強(べんきょう)している人が、自然な(しぜんな)日本語を身(み)につけることができないとしたら、それは、そのほとんどの人が、日本語を自分の母国語(ぼこくご)とくらべながら、あるいは母国語を通して(とおして)おぼえているからかもしれない。

「だけ」と「しか」はポルトガル語に直す(なおす)と同じ(おなじ)単語(たんご)になってしまう。英語(えいご)も同じ。

同じ事実(じじつ)を伝えて(つたえて)いるのだが、一方(いっぽう)は話し手(はなして)の気持ち(きもち)が大事(だいじ)になってくる。

だから、その違いがわからないと、「3つしかない。」というべきところを、「3つだけある。」と使って(つかって)しまうのだろう。

「しか」ということばは、事実をいうだけでなく、それを強調(きょうちょう)したり、「残念(ざんねん)」という気持ちが入る。また、自分が期待(きたい)していたレベルまでとどかなかったときにも使う。

1.おかしが3つだけある。
        → 見たことをそのままつたえている。

2.おかしが3つしかない。
        → 上に加えて(くわえて)、「もっと残っていてほしかったのに、 あるのは3つで残念。」という気持ちが入る。

3.このおもちゃは2メートルだけ走り(はしり)ます。
        → 2メートル以上(いじょう)は走らない」という事実。

4.このおもちゃは2メートルしか走りません。
        → 上に加えてもっと走ると思ったのに、走るのは2メートル。

細かく(こまかく)いえば、もっと違いがあるのだけれど、今日は簡単(かんたん)にここまで。

この使いわけは、やはり生徒に使ってもらわないと正しく(ただしく)理解(りかい)しているかがわからない。先生たちは面倒(めんどう)でも、その都度(つど)なおしていってあげることになるだろう。

さらに説明(せつめい)がのっているサイト見つけました↓
http://home.alc.co.jp/db/owa/jpn_npa?sn=33
 

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