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2013年9月22日日曜日

マナウス日本語弁論(にほんごべんろん)・お話大会(おはなしたいかい)2013

今年(ことし)も、ついに日本語弁論・お話大会の日(ひ)がやってきた。

去年(きょねん)は子どもの参加者(さんかしゃ)がとても少なかった(すくなかった)ので、今年は私(わたし)のクラスの子(こ)どもたち全員(ぜんいん)を大会参加(さんか)させるようにした。

作文(さくぶん)を3月(がつ)からはじめ、夏休み(なつやすみ)にはいる前(まえ)の6月には全員分(ぶん)の録音(ろくおん)もできあがっていた。

しかし、ここまでみんながたどりつくのは、本当に(ほんとうに)大変(たいへん)で、それは想像(そうぞう)以上(いじょう)だった…。

たった7人(にん)だったのに、子どもたちの作文を簡単な(かんたんな)ものになおし、CDやUSBに録音しても、その録音したものをなくした子もたくさんいたし、7月にあった一ヶ月間(いっかげつかん)の休みも、やはり練習(れんしゅう)をきちんとしてきた子は一人(ひとり)もいなかった。

子どもも忍耐(にんたい)、私も忍耐。文句(もんく)をいわれても、絶対に(ぜったい)にあきらめさせる気(き)はなかったし、子どもたちもがんばって最後の授業(じゅぎょう)は、ほぼ全員が発表する内容(ないよう)をほぼ完璧(かんぺき)に暗記(あんき)してきた。

練習の当日(とうじつ)に、あまりの緊張(きんちょう)から泣いて(ないて)しまった子もいた。

私は、子どもむけであるお話大会の指導(しどう)方法(ほうほう)は、大人向けの弁論大会の指導方法とはちがうものにしている。

大人には内容(ないよう)、イントネーション、ジェスチャーなどを細かく(こまかく)、しつこく求め(もとめ)、それが直る(なおる)まで絶対に譲らない。

でも、たった1週間(しゅうかん)に一度(いちど)しか授業がなく、家(いえ)でも話す機会(きかい)がないような子どもたちに、同じ(おなじ)ように要求(ようきゅう)してしまうと、息(いき)がつまって、楽しく(たのしく)おぼえることができない。楽しくおぼえられないと日本語がきらいになってしまうかもしれない。

ということで、今回はまず「たくさんの人の前で日本語で話すことを体験(たいけん)」を目標(もくひょう)にした。声(こえ)の大きさ(おおきさ)やイントネーション、速さ(はやさ)など、一つでもいいところを見つけ、いいところはとことんほめて自信(じしん)をもたせた。どんな子どもにもかならずいいところがある。

「やはり子どもはすばらしい」と思ったのは、素直(すなお)にそれをうけいれるところ。

練習で泣いてしまった生徒も、何度(なんど)も何度も練習し、心(こころ)を落ち着かせて(おちつかせて)本番(ほんばん)をむかえ、無事(ぶじ)に発表を終えたすがたをみたときには、子どもたちといっしょに練習をさせてもらって本当によかったと心から思った(おもった)。

弁論大会にしても、お話大会にしても、生徒といっしょに練習をさせてもらい、それによって学ばされることがたくさんある。

弁論大会の上位(じょうい)二人は全国(ぜんこく)大会へ。おめでとう。がんばってきてね。
セザーさん(左)とセルジオさん(右)
子どもたちが大きくなり、いつか今回のこの経験(けいけん)が、彼ら(かれら)にとって意味(いみ)のあるものだったと思ってくれたら、私にこれ以上の幸せ(しあわせ)はないな。

2013年9月11日水曜日

「楽し(たのし)がる」

先日(せんじつ)、子どもと遊んで(あそんで)いるときに、「楽し(たのし)がって、あそんでいたら」と聞いて(きいて)、少し(すこし)違和感(いわかん)を感じた(かんじた)。その時(とき)は「おもしろがって、あそんでいたら」というよと直した(なおした)。

「楽しがる」は一体(いったい)正しい(ただしい)のだろうか。

「~がる」はふつう、だれかの様子(ようす)や気持ち(きもち)をほかの人(ひと)が表す(あらわす)時に使う(つかう)。

例えば、「ほしい」や「~たい」ということばは、自分(じぶん)の気持ちを伝える(つたえる)時に使うので、

「私(わたし)は車(くるま)がほしい。」ということはできても、
「彼(かれ)は車がほしい。」というと、不自然(ふしぜん)になる。

この場合(ばあい)、「彼は車をほしがっている。」とか「彼は車がほしいらしい。」というふうに表現(ひょうげん)するのが正しい。

「悲しい(かなしい)」を「悲しがる」と使うのであれば、「楽しがる」も、気持ちをあらわすことばに「~がる」をつけているだけなので、文法上(ぶんぽうじょう)は正しいことになる。

では、なぜ違和感を感じるのだろう。

私が思うところ、誰か(だれか)の「楽しい」という気持ちを表現するとき、「楽しがる」よりも、「楽しむ」ということばをよく使う。

最初(さいしょ)の例(れい)でいえば、

「楽しんであそんでいた。」(→楽しむ+で)というのが、聞き(きき)なれた表現だと思う。

文法上では正しくても、あまり使われていない表現を使うと人に違和感をあたえるので、ただ、直してあげるのではなく、それがどうしてまちがっているのかを追究(ついきゅう)することも大事(だいじ)だなと感じた一日(いちにち)だった。

2013年8月6日火曜日

後期(こうき)スタート2013

7月(がつ)いっぱいのお休み(やすみ)も終わり(おわり)、先週(せんしゅう)の土曜日(どようび)から、またまた日本語学校(にほんごがっこう)が始まった(はじまった)。

後期(こうき)一日目(いちにちめ)は、休み中(ちゅう)の感想(かんそう)と前期(ぜんき)テストの答え合わせ(こたえあわせ)から始めた。答え合わせでは生徒(せいと)に答えを教える(おしえる)のと同時(どうじ)に、それに関連(かんれん)するものの復習(ふくしゅう)、そしてテストに採点(さいてん)ミスがなかったかを確認(かくにん)する。

今回(こんかい)も前期の内容(ないよう)の総(そう)まとめテストのほかに、漢字(かんじ)テストをしたが、漢字テスト50問(もん)はかなり難しかった(むずかしかった)とみえて、平均点(へいきんてん)もぐっとさがった。

漢字は毎週(まいしゅう)しているミニテストをまとめたもの。でも、今回の結果(けっか)をみて、「漢字はいつもわすれないように復習するのが大事(だいじ)なんだよ。せっかく覚えてたのに、すぐに忘れて(わすれて)しまったらもったいないでしょう。」という私のことばにみんな納得(なっとく)していたようす。また来週(らいしゅう)から始まるミニテストをがんばると言(い)っていた。

さらに今年12月に行われる(おこなわれる)「日本語能力検定試験(にほんごのうりょくけんていしけん)」のアピール。ここマナウスでは一年(いちねん)に一回(いっかい)しか行われないが、検定試験にも少しずつ(すこしずつ)慣れて(なれて)いってほしい。

というわけで、後期スタート。子どもクラスはいつも楽しい(たのしい)。大人(おとな)が考えない(かんがえない)ような発想(はっそう)も多くて(おおくて)、いつも笑わ(わらわ)される。あと、4か月。まずは9月のスピーチコンテストがんばろうね。

2013年6月30日日曜日

子どもクラス前期終了式(ぜんきしゅうりょうしき)2013-七夕(たなばた)

きのうは子どもクラスの前期(ぜんき)終了式(しゅうりょうしき)だった。

子どもたちの前期終了式はいつも「たなばた」をしている。

まず「たなばた」の説明(せつめい)と、さゆり先生の手作り(てづくり)紙(かみ)しばい。

紙しばいはブラジル人の子どもたちにはあまりなじみがないらしい。先生の手作りのかわいい絵(え)をみながら、みんな集中(しゅうちゅう)して聞いて(きいて)いた。

そのあと、みんなで歌(うた)を歌って、きりがみをした。

 
きりがみは、おりがみよりもかんたんだったので、みんな気に入った(きにいった)みたい。
 
最後(さいご)はたんざく。がんばって日本語(にほんご)でかいた願い(ねがい)ごとをみんなでつるしたら…
 
 
 
笹(ささ)が願いごとでいっぱいになった。ちょっと重そう(おもそう)。
 
先生たちもたのしみました。あとかたづけもおわり!
さてさて、これから一か月(いっかげつ)のお休み(やすみ)があるけど、みんな日本語をわすれないかな。

2013年6月21日金曜日

ブラジルでの大規模(だいきぼ)デモ

今、ブラジルは大きく動きだした。今月、2日にサンパウロでデモが始まった。もともと、このデモはバスの料金の値下げを要請するものだったが、次々とほかの都市にも広まり、今では90もの都市で大規模なデモが行われている。このデモは何を目的にしているかというと、

まず第一にバス料金の値下げ。これはただ「料金が高いから」というわけではない。先日、連邦政府は、公共交通機関にかかる税金を免税にした。これによって、国民はみなバスなどの料金が当然下がるものと思っていた。ところが、それにもかかわらず、サンパウロ市では2日に料金の値上げが行われた。それが今回の大規模デモの引き金となり、公共交通機関の質を良くする要求も加え、ほかの都市でもあっという間に広がった。

第二に、必要以上に多額の公金(ブラジルは世界の中でも非常に税金が高い国といえる)を使って、サッカー競技場を作り上げたことに対する抗議だった。そのあまりにも多額の経費の使用方法、余剰金の有無、行方を国民は連邦警察や検察に調査させるように求めるものだった。

第三の目的は、汚職をした時に検察が詳しく捜査ができないよう、議員に免責特権を与えた「PEC37」法案を撤廃要請すること。この法案が成立すれば、何人の政治家が汚職をしたあとも警察に捕まることなく逃れられるだろう。

第四は、政治家が汚職を行った場合に処罰する法令を作り、政治家が所有する特権を廃止するよう要請すること。

第五に、国内の教育機関、教育システムの向上。

さらに、医療システム、病院などの施設の改善すること。

ブラジルの公立の病院は診療も検査も治療も一切お金を払う必要がない。ブラジル人はもちろんのこと、旅行できた外国人が けがをしても、病気になっても、お金が一切かからない。その代わり、ベッドや医師の数も限られるので、緊急の場合でもすぐに対応してもらえない場合も少なくない。

マナウスには幸い、莫大な資金を投資して改修工事を行った大きな公立病院がある。そこは建物もきれいで、対応もよいほうだ。実際、日本人の旅行者も何人かお世話になったことがあり、アテンドもよく、レントゲンをとってもらったり、ギブスをつけてもらったり、薬をもらっても一切お金はかからなかった。しかし、同じ市内でも、少し離れた公立の病院では先ほど触れたようなケースも多い。

こ こマナウスでも、きのうからデモが始まった。ここでのデモは予定通りの大通りを訴えを書いたプレートなどをもって歩くだけの平和なものだったので、ニュー スでも「デモはこうあるべき」と伝えられた。でも、やはりここでも、残念なことに市役所付近でバスを燃やしたり、公共物を壊すような犯罪を犯す者も少なく なかった。

毎日報道されているデモは、日に日にエスカレートしているように思う。特にリオでの騒動は、デモを超えて、ゲリラ戦のよう。

せっかくコンフェデレーションカップが催されているというのに、人々を不安にさせるようなデモが行われているのは、本当に残念だと思う。いつかはこうして立ち上るべきだったことには納得できるが、人々を傷つけることなく実行してほしかった。

今まで税金を無駄遣いされても、文句は言うものの、何もしなかったブラジル人。ここまで団結し、立ち上ったブラジル人たちを見るのは、ここに住むようになって初めて。

何かが少しずつ変わってきたのかもしれない。国が良くなるためにそうあってほしい。

2013年5月14日火曜日

「だけ」と「しか」

自分(じぶん)が好きな(すきな)おかしを見て(みて)、「おかしが3つだけある。」というのと、「おかしが3つしかない。」というのは何(なに)が違う(ちがう)のだろう。

生徒(せいと)と話す(はなす)とき、この違いが難しい(むずかしい)んだなと思う(おもう)ことがよくある。

日本語(にほんご)を勉強(べんきょう)している人が、自然な(しぜんな)日本語を身(み)につけることができないとしたら、それは、そのほとんどの人が、日本語を自分の母国語(ぼこくご)とくらべながら、あるいは母国語を通して(とおして)おぼえているからかもしれない。

「だけ」と「しか」はポルトガル語に直す(なおす)と同じ(おなじ)単語(たんご)になってしまう。英語(えいご)も同じ。

同じ事実(じじつ)を伝えて(つたえて)いるのだが、一方(いっぽう)は話し手(はなして)の気持ち(きもち)が大事(だいじ)になってくる。

だから、その違いがわからないと、「3つしかない。」というべきところを、「3つだけある。」と使って(つかって)しまうのだろう。

「しか」ということばは、事実をいうだけでなく、それを強調(きょうちょう)したり、「残念(ざんねん)」という気持ちが入る。また、自分が期待(きたい)していたレベルまでとどかなかったときにも使う。

1.おかしが3つだけある。
        → 見たことをそのままつたえている。

2.おかしが3つしかない。
        → 上に加えて(くわえて)、「もっと残っていてほしかったのに、 あるのは3つで残念。」という気持ちが入る。

3.このおもちゃは2メートルだけ走り(はしり)ます。
        → 2メートル以上(いじょう)は走らない」という事実。

4.このおもちゃは2メートルしか走りません。
        → 上に加えてもっと走ると思ったのに、走るのは2メートル。

細かく(こまかく)いえば、もっと違いがあるのだけれど、今日は簡単(かんたん)にここまで。

この使いわけは、やはり生徒に使ってもらわないと正しく(ただしく)理解(りかい)しているかがわからない。先生たちは面倒(めんどう)でも、その都度(つど)なおしていってあげることになるだろう。

さらに説明(せつめい)がのっているサイト見つけました↓
http://home.alc.co.jp/db/owa/jpn_npa?sn=33
 

2013年5月4日土曜日

第11回(だいじゅういっかい)絵画(かいが)コンクール

今日(きょう)、日伯(にっぱく)で、一年(いちねん)に一度(いちど)の絵画(かいが)コンクールが行われた(おこなわれた)。

今年(ことし)の絵画部門(ぶもん)のテーマは「ゆめ」。


「ゆめ」は「寝て(ねて)いるときに見る(みる)ゆめ」と「自分(じぶん)がなりたいゆめ」の意味(いみ)がある。子どもたちは想像力(そうぞうりょく)を使って(つかって)自由(じゆう)にかいてくれた。

絵をかく時間(じかん)が一時間半(いちじかんはん)しかなかったので、とくに漫画(まんが)部門 では、途中(とちゅう)で時間がなくなった子もいるかもしれない。最後(さいご)のアナウンスが入る(はいる)まで、がんばっていた子どもたちもたくさんいた。

入賞(にゅうしょう)は全て(すべて)投票数(とうひょうすう)できめる。今回(こんかい)はたくさんの人が投票にきてくれた。

 

イベントが少なかった(すくなかった)11年前(まえ)にはじめた絵画コンクール。初め(はじめ)は少なかった参加者(さんかしゃ)も今年は82人の申し込み(もうしこみ)があった。

いろいろハプニングもあって、大変(たいへん)だったけれど、先生たちがみんながんばって、なんとか無事(ぶじ)に終える(おえる)ことができてよかった。子どもたちもみんなよくがんばったね。

幼稚園(ようちえん)から小学(しょうがく)2年生(ねんせい)までの子どもたちの絵