ブログをはじめてもうすぐ1年(ねん)。この1年で、日伯(にっぱく)の先生(せんせい)たちもがんばっているなーと思う(おもう)ことがよくある。というわけで、今日(きょう)は先生の話(はなし)。
ここ、マナウスにも色々な(いろいろな)日本語(にほんご)の先生がいる。
日系人(にっけいじん)の先生、非日系人(ひにっけいじん)のブラジル人の先生、日本人だが子どものときに移住(いじゅう)してきた先生、大人(おとな)になってから移住してきた日本人の先生などなど。
私がここにはじめてきた12年前(まえ)は、たしか日本人の先生と3人と、日系人の先生が1人、それにボランティアで領事館(りょうじかん)の領事夫人(りょうじふじん)が授業(じゅぎょう)を担当(たんとう)していた。非日系人の先生がいなかったのは、日本語を話す(はなす)ことはできても、教える(おしえる)レベルまでたどりついた人が少なかった(すくなかった)からだと思う(おもう)。学校(がっこう)も今(いま)にくらべるとまだ小さく(ちいさく)、こじんまりとしていた。
先輩(せんぱい)の先生方(がた)に色々なことを教えていただきながら、半年(はんとし)くらいすぎたころ、急に(きゅうに)人手(ひとで)がたりなくなり、先生を探す(さがす)ことになった。
もちろん「探す」ときまってから、あたりまえのごとく、事務所(じむしょ)の人も日系人を探しはじめたが、なかなか適当な(てきとう)人がみつからなかった。
しばらくたったころ、ちょうど私と同じく(おなじく)青年(せいねん)ボランティアで事務員(じむいん)をしていた中野(なかの)さんが、「ヒカルドはどうですか?」と事務の中村(なかむら)さんにきいた。きけば、ヒカルドは日伯の卒業生(そつぎょうせい)で、日本語が大好き(だいすき)な生徒(せいと)だったらしい。
迷って(まよって)いる時間(じかん)もなかったので、中野さんにたのんでヒカルドと電話(でんわ)で話してみた。話をして、私はすぐに「できるかも」と思った。電話で話したにもかかわらず、彼(かれ)の発音(はつおん)やイントネーションはとてもきれいだった。
すぐにおねがいして、ヒカルドが私の知る(しる)かぎり日伯初(はつ)の非日系人の先生になった。
当時は日系人の生徒がとても多かった(おおかった)。非日系人のヒカルドには「日系人ではない」というだけで、ハンディがあった。多くの生徒や生徒の両親(りょうしん)が「ガイコクジン」の先生というだけで、「発音やイントネーションが間違っている(まちがっている)のではないか」、「間違ったことばをおしえるのではないか」と心配(しんぱい)し、その分(ぶん)ヒカルドを見る(みる)目(め)もきびしかった。
でも、ヒカルドはやめることなく日本語を教え続けて(つづけて)、今年(ことし)で12年になる。日本で半年間(はんとしかん)研修(けんしゅう)も受けて(うけて)きた。私も助け(たすけ)、助けられて、いっしょにすごし、今では経験(けいけん)もつんだので自信(じしん)を持って授業をしていると思う。
もちろん、ここまでたどりつくには色々なことがあったけれど。
当時(とうじ)、悩み(なやみ)があるのは非日系人の先生だけかと思ったが、私の生徒は日系人であることで、これまた悩みをもっていた。「日本人の顔(かお)をしているのに、どうして日本語が通じない(つうじない)んだ。」と会社(かいしゃ)の上司(じょうし)からいわれたとか、「日系人だから日本語を話すと思っていたのに、話せないからがっかりした。」と言われたという生徒が何人も(なんにんも)いた。
日系人の先生は「日本人の血(ち)がまざっている」というだけで、生徒から色々な情報(じょうほう)を求め(もとめ)られる。また、先生も家庭で使っていることばが、他(ほか)の人にも通じるのか、家族の中だけで通じることばなのかを知らなくては(しらなくては)いけない。「家族とつかっていたことばを生徒に教えてみたら、他の人には通じませんでしたといわれた…。」ということもある。そういうことばを見極める(みきわめる)のも、実は(じつは)とてもむずかしい。
色々な面(めん)で、非日系人、日系人、それぞれの悩みがあり、それは今もあまり変わって(かわって)いないのかもしれない。でも、最近(さいきん)は前(まえ)ほどそれが感じられ(かんじられ)なくなった。
非日系人の先生はそのハンディにまけないくらい個性的(こせいてき)で楽しい(たのしい)授業(じゅぎょう)で生徒にやる気(き)をもたせているし、生徒もまた自分の興味(きょうみ)があることを楽しみながら勉強(べんきょう)しているようす。
日系人の先生も非日系人の先生のパワーにまけないように授業を工夫(くふう)しているし、日系人であることでブラジル人であり、日本人であることをいかし、自信をもって授業しているようにみえる。
数日(すうじつ)まえ、非日系人の先生が、また上級(じょうきゅう)のクラスを担当(たんとう)するようになったのをしって、とてもうれしくなった。
生徒がもつ先入観(せんにゅうかん)をかえることはむずかしいけれど、そんな生徒にも文句(もんく)を言わせない授業をすることに、日系人も非日系人も関係(かんけい)ないと思う。
「日本人だから」といって、みんな教え方(かた)をしっているわけではないし、教え方がかならずしも「うまい」ときまっているわけでもない。
私も自分が日本人だと思うことに甘んじ(あまんじ)ないで、今、努力(どりょく)をしている先生たちからも色々なことをまなばなくては。
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2012年9月5日水曜日
2012年8月22日水曜日
文法(ぶんぽう)の大切さ(たいせつさ)
日本語能力検定試験(にほんごのうりょくけんていしけん)の申込期間(もうしこみきかん)がもう少し(すこし)で終わる(おわる)。
よくきかれるのが、この試験に合格(ごうかく)すると何(なん)のメリットがあるか。
「仕事(しごと)がみつかりますか。」とか、「日本へ行け(いけ)ますか。」ときいてくる人までいる。
残念(ざんねん)ながら、それはご本人(ほんにん)次第(しだい)。日本では大学(だいがく)に留学(りゅうがく)するため、または仕事をみつけるための資格(しかく)として使う(つかう)ことができるが、ここではまだそれを利用(りよう)してくれる会社(かいしゃ)がほとんどない。
でも、実(じつ)は試験に合格するためにどれくらいの努力(どりょく)が必要(ひつよう)か、そしてその努力をすることで何(なに)が得られる(えられる)かが、わかっていない。
私もここに住み(すみ)はじめて10年以上(いじょう)経った(たった)。今(いま)では生活(せいかつ)するためだけでなく、仕事でもポルトガル語が必要(ひつよう)なのでポルトガル語を使う(つかう)。会話(かいわ)をする面(めん)ではまず不自由(ふじゆう)を感じる(かんじる)ことはなくなった。
友だち(ともだち)と話(はなし)をするとき、クレームをいうとき、仕事で話すとき、間違え(まちがえ)はあるだろうが、とりあえず相手(あいて)はわかってくれる。ところが、自分(じぶん)のポルトガルの中途半端(ちゅうとはんぱ)さを痛い(いたい)くらい感じる(かんじる)ときがある。
それは、文書(ぶんしょ)を書く(かく)とき。
私はポルトガル語の文法(ぶんぽう)をきちんと勉強(べんきょう)したことがない。ここに来て(きて)はじめの2年はほとんど英語(えいご)を使ってすごし、ポルトガル語を覚え(おぼえ)なかった。授業(じゅぎょう)はほとんど直説法(ちょくせつほう)ですごした。親切な(しんせつな)日本人の方(かた)も多く(おおく)、困った(こまった)ときはたすけてもらい、迷惑(めいわく)をかけながらも青年(せいねん)ボランティアの任期中(にんきちゅう)は何(なん)とかすごせた。
ところが仕事で文書を書くことがふえた今、自分のポルトガル語の作文(さくぶん)能力の弱さ(よわさ)に泣き(なき)たくなる。
ポルトガル語にも日本語とはちがうにしろ、尊敬表現(そんけいひょうげん)がある。友だちに出すような手紙(てがみ)であれば書けるが、公(おおやけ)の機関(きかん)に出す文書の場合(ばあい)、書いても、それが果たして(はたして)文法的(ぶんぽうてき)にあっているかどうかが自分ではわからず、だれかにチェックしてもらうまで出すことができない。
私の場合、英語の能力も決して(けっして)優れて(すぐれて)いるとは思わない(おもわない)が、こういう文は英語で書くほうが簡単(かんたん)だと思うことがよくある。それは英語の文法がポルトガル語の文法にくらべてシンプルだということもあるが、それよりも何よりも会話とともに0から文法を勉強したことが大きい(おおきい)。
日本語を教える(おしえる)とき、多く(おおく)の生徒ははまず会話が上手(じょうず)になりたいという。たのしく会話をしたかったり、仕事で必要だからだったり、興味(きょうみ)があることを楽しむためだったり、それは色々な(いろいろな)理由(りゆう)からだと思う。もちろん、私も会話が上手になることに大賛成(だいさんせい)。でも、たいていの生徒は会話が上手になると、もっともっと日本語をみがこうという努力をしなくなる。
そして、会話だけに力(ちから)をいれていたら、生徒たちもいつか限界(げんかい)を感じるときがくる。文を書くことはあまりないかもしれないが、話をしていても、正しく(ただしく)話せているか、自分のいっていることが相手に間違いなくつたわっているか自信(じしん)をもつことができない。
コミュニケーションをとれるようになるのが大事(だいじ)だとは思うが、日本語を覚えて上手に話せるようになりたいと思っている人には会話ばかりではなく、文法もきちんと勉強してもらいたいと思う。
日本語能力試験は文法をきちんと勉強した人、あるいは日本人のように自然(しぜん)と覚えた人でなければ答える(こたえる)ことができない。それぞれのレベルの合格を目指して(めざして)勉強すること、その過程(かてい)がとても大事であって、結果(けっか)がすべてではないはず。
生徒にはいつも「自分のレベルに満足(まんぞく)してしまわないで向上心(こうじょうしん)をもっていてほしい」と思う。そして能力試験は「どれくらい自分のレベルをのばすことができたか。」を知る(しる)のにとてもいい機会(きかい)なので、できるだけ多くの人にうけてもらいたい。
友人のヒカルドから教えてもらったポルトガル語文法がのった本でただ今一から勉強中。知らずに使っていた目からウロコの文法もあり、かなりよい。↓
http://www.hmv.co.jp/artist_%E5%85%BC%E5%AE%89%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%A2%E5%85%B8%E5%AD%90_200000000282281/
よくきかれるのが、この試験に合格(ごうかく)すると何(なん)のメリットがあるか。
「仕事(しごと)がみつかりますか。」とか、「日本へ行け(いけ)ますか。」ときいてくる人までいる。
残念(ざんねん)ながら、それはご本人(ほんにん)次第(しだい)。日本では大学(だいがく)に留学(りゅうがく)するため、または仕事をみつけるための資格(しかく)として使う(つかう)ことができるが、ここではまだそれを利用(りよう)してくれる会社(かいしゃ)がほとんどない。
でも、実(じつ)は試験に合格するためにどれくらいの努力(どりょく)が必要(ひつよう)か、そしてその努力をすることで何(なに)が得られる(えられる)かが、わかっていない。
私もここに住み(すみ)はじめて10年以上(いじょう)経った(たった)。今(いま)では生活(せいかつ)するためだけでなく、仕事でもポルトガル語が必要(ひつよう)なのでポルトガル語を使う(つかう)。会話(かいわ)をする面(めん)ではまず不自由(ふじゆう)を感じる(かんじる)ことはなくなった。
友だち(ともだち)と話(はなし)をするとき、クレームをいうとき、仕事で話すとき、間違え(まちがえ)はあるだろうが、とりあえず相手(あいて)はわかってくれる。ところが、自分(じぶん)のポルトガルの中途半端(ちゅうとはんぱ)さを痛い(いたい)くらい感じる(かんじる)ときがある。
それは、文書(ぶんしょ)を書く(かく)とき。
私はポルトガル語の文法(ぶんぽう)をきちんと勉強(べんきょう)したことがない。ここに来て(きて)はじめの2年はほとんど英語(えいご)を使ってすごし、ポルトガル語を覚え(おぼえ)なかった。授業(じゅぎょう)はほとんど直説法(ちょくせつほう)ですごした。親切な(しんせつな)日本人の方(かた)も多く(おおく)、困った(こまった)ときはたすけてもらい、迷惑(めいわく)をかけながらも青年(せいねん)ボランティアの任期中(にんきちゅう)は何(なん)とかすごせた。
ところが仕事で文書を書くことがふえた今、自分のポルトガル語の作文(さくぶん)能力の弱さ(よわさ)に泣き(なき)たくなる。
ポルトガル語にも日本語とはちがうにしろ、尊敬表現(そんけいひょうげん)がある。友だちに出すような手紙(てがみ)であれば書けるが、公(おおやけ)の機関(きかん)に出す文書の場合(ばあい)、書いても、それが果たして(はたして)文法的(ぶんぽうてき)にあっているかどうかが自分ではわからず、だれかにチェックしてもらうまで出すことができない。
私の場合、英語の能力も決して(けっして)優れて(すぐれて)いるとは思わない(おもわない)が、こういう文は英語で書くほうが簡単(かんたん)だと思うことがよくある。それは英語の文法がポルトガル語の文法にくらべてシンプルだということもあるが、それよりも何よりも会話とともに0から文法を勉強したことが大きい(おおきい)。
日本語を教える(おしえる)とき、多く(おおく)の生徒ははまず会話が上手(じょうず)になりたいという。たのしく会話をしたかったり、仕事で必要だからだったり、興味(きょうみ)があることを楽しむためだったり、それは色々な(いろいろな)理由(りゆう)からだと思う。もちろん、私も会話が上手になることに大賛成(だいさんせい)。でも、たいていの生徒は会話が上手になると、もっともっと日本語をみがこうという努力をしなくなる。
そして、会話だけに力(ちから)をいれていたら、生徒たちもいつか限界(げんかい)を感じるときがくる。文を書くことはあまりないかもしれないが、話をしていても、正しく(ただしく)話せているか、自分のいっていることが相手に間違いなくつたわっているか自信(じしん)をもつことができない。
コミュニケーションをとれるようになるのが大事(だいじ)だとは思うが、日本語を覚えて上手に話せるようになりたいと思っている人には会話ばかりではなく、文法もきちんと勉強してもらいたいと思う。
日本語能力試験は文法をきちんと勉強した人、あるいは日本人のように自然(しぜん)と覚えた人でなければ答える(こたえる)ことができない。それぞれのレベルの合格を目指して(めざして)勉強すること、その過程(かてい)がとても大事であって、結果(けっか)がすべてではないはず。
生徒にはいつも「自分のレベルに満足(まんぞく)してしまわないで向上心(こうじょうしん)をもっていてほしい」と思う。そして能力試験は「どれくらい自分のレベルをのばすことができたか。」を知る(しる)のにとてもいい機会(きかい)なので、できるだけ多くの人にうけてもらいたい。
友人のヒカルドから教えてもらったポルトガル語文法がのった本でただ今一から勉強中。知らずに使っていた目からウロコの文法もあり、かなりよい。↓
http://www.hmv.co.jp/artist_%E5%85%BC%E5%AE%89%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%A2%E5%85%B8%E5%AD%90_200000000282281/
2012年8月16日木曜日
ブラジルの誕生会(たんじょうかい)
今日(きょう)はこちらの誕生日(たんじょうび)の祝い方(いわいかた)について。
日本(にほん)で友達(ともだち)に「~さん、あした誕生日なの?」ときかれたら、まず何も(なにも)考えず(かんがえず)にイエスかノーかを答える(こたえる)と思う(おもう)。
なぜかというと、自分(じぶん)の誕生日だからパーティーをどうするか、ケーキをどうするかなんて考えなくてもいいし、自然な(しぜんな)会話(かいわ)が成り立つ(なりたつ)から。
ところが、ここマナウス(どうやらブラジル全国(ぜんこく))では誕生日の本人(ほんにん)がケーキを持って(もって)ほかの人(ひと)にもてなすのが普通(ふつう)だったりする。
というわけで、「あしたは私(わたし)の誕生日。」とブラジル人にいうと、「おめでとう。じゃぁ、あしたはケーキが食べられる(たべられる)んだ。」といった会話(かいわ)になる場合(ばあい)が多い(おおい)。
もちろん授業(じゅぎょう)でも同じ(おなじ)。
生徒(せいと)がクラスの友達にむかって、「来週(らいしゅう)はぼくの誕生日だから、プレゼントよろしくー。」なんてきまって言うと(いうと)、「じゃぁ、ケーキがあるんだね。」という答えになる。
日本では誕生会をするとなると、もちろん本人がケーキやごちそうを準備(じゅんび)して、友だちなどをよぶが、友達がしてくれることもある。
ここの子どもがする誕生会は色々な(いろいろな)かたちのものがあるが、日本では考えられないほど豪華な(ごうかな)誕生会を普通(ふつう)にしてしまう家庭(かてい)も少なく(すくなく)ない。
特に(とくに)女の子(おんなのこ)の15歳の誕生日は大人(おとな)への仲間入り(なかまいり)できる年令(ねんれい)として、お父さん(おとうさん)と一緒(いっしょ)にワルツを踊り(おどり)社交(しゃこう)デビューするという習慣(しゅうかん)があるので、パーティーが結婚披露宴(けっこうひろうえん)なみのことも多い。
中(なか)にはそういうパーティーをしないで、その分の費用(ひよう)を旅行(りょこう)にあてる人もいる。
いずれにせよ、立派(りっぱ)な誕生会をしようと思う(おもう)と、結構(けっこう)大変(たいへん)。
日本(にほん)で友達(ともだち)に「~さん、あした誕生日なの?」ときかれたら、まず何も(なにも)考えず(かんがえず)にイエスかノーかを答える(こたえる)と思う(おもう)。
なぜかというと、自分(じぶん)の誕生日だからパーティーをどうするか、ケーキをどうするかなんて考えなくてもいいし、自然な(しぜんな)会話(かいわ)が成り立つ(なりたつ)から。
ところが、ここマナウス(どうやらブラジル全国(ぜんこく))では誕生日の本人(ほんにん)がケーキを持って(もって)ほかの人(ひと)にもてなすのが普通(ふつう)だったりする。
というわけで、「あしたは私(わたし)の誕生日。」とブラジル人にいうと、「おめでとう。じゃぁ、あしたはケーキが食べられる(たべられる)んだ。」といった会話(かいわ)になる場合(ばあい)が多い(おおい)。
もちろん授業(じゅぎょう)でも同じ(おなじ)。
生徒(せいと)がクラスの友達にむかって、「来週(らいしゅう)はぼくの誕生日だから、プレゼントよろしくー。」なんてきまって言うと(いうと)、「じゃぁ、ケーキがあるんだね。」という答えになる。
日本では誕生会をするとなると、もちろん本人がケーキやごちそうを準備(じゅんび)して、友だちなどをよぶが、友達がしてくれることもある。
ここの子どもがする誕生会は色々な(いろいろな)かたちのものがあるが、日本では考えられないほど豪華な(ごうかな)誕生会を普通(ふつう)にしてしまう家庭(かてい)も少なく(すくなく)ない。
| 誕生会にきてくれたお客(きゃく)さんに自由(じゆう)にとってもらう |
特に(とくに)女の子(おんなのこ)の15歳の誕生日は大人(おとな)への仲間入り(なかまいり)できる年令(ねんれい)として、お父さん(おとうさん)と一緒(いっしょ)にワルツを踊り(おどり)社交(しゃこう)デビューするという習慣(しゅうかん)があるので、パーティーが結婚披露宴(けっこうひろうえん)なみのことも多い。
中(なか)にはそういうパーティーをしないで、その分の費用(ひよう)を旅行(りょこう)にあてる人もいる。
いずれにせよ、立派(りっぱ)な誕生会をしようと思う(おもう)と、結構(けっこう)大変(たいへん)。
| カップケーキまでキャラクター… |
2012年8月2日木曜日
完全(かんぜん)と完璧(かんぺき)のちがい
先日(せんじつ)またまたチアゴ先生(せんせい)からいい質問(しつもん)が。
「完全(かんぜん)」と「完璧(かんぺき)」のちがいは何(なん)ですか。
はい、はいそれは…とポルトガル語(ご)に訳(やく)してみると、彼(かれ)が言った(いった)とおり、同じ(おなじ)訳になってしまう…。
勉強(べんきょう)しているな~、チアゴ先生。
というわけで、また例文(れいぶん)を考える(かんがえる)ところから始めた(はじめた)。
「完全」を使った(つかった)例文(れいぶん)
1.完全に解決(かいけつ)できるまで、帰らないで(かえらないで)ください。
2.プレゼントのことは完全にわすれている。
3.この服(ふく)が完全に乾く(かわく)まで、ここに干して(ほして)おいてください。
4.完全燃焼(かんぜんねんしょう)
「完璧」を使った例文
1.あなたの日本語(にほんご)は完璧です。
2.(できあがった作品(さくひん)をみて)完璧だ。
3.彼は仕事(しごと)を完璧にこなす。
他(ほか)にも色々(いろいろ)と例文を考えて(かんがえて)みたところ、次(つぎ)のような結論(けつろん)にたどりついた。
「完全」も「完璧」も「文句(もんく)をいう必要(ひつよう)がないくらい」の意味(いみ)があるが、「完全」にはもっと広い(ひろい)意味がある。
完全には他に「全体(ぜんたい)」、「全部(ぜんぶ)」、「健全さ(けんぜんさ)」の意味もある。
特(とく)に、「完全に」には「すっかり」、「全く(まったく)」の意味があるが、「完璧に」にはこの意味がないので、同じように使うことはできない。
これに対して(たいして)「完璧に」は「欠けて(かけて)いるものが全くない」という意味が強い(つよい)。
また、「完全」はいつも「完全な」、「完全に」のように形容詞(けいようし)か副詞(ふくし)のかたちで使うか、「完全無欠(むけつ)」、「完全試合(じあい)」のように、他のことばをつけて使う。
しかし、「完璧」は他のことばをつけて使うことができないし、「完璧だ。」のように「~な」、「~に」をつけないで使うこともできる。
私がたどりついた答え(こたえ)は以上(いじょう)。
日本語学習者(がくしゅうしゃ)は勉強すればするほど、色々な疑問(ぎもん)がわいてくる。私たち日本人は子どものころから慣れた(なれた)感覚(かんかく)で日本語を使っているので、ちょっとしたニュアンスのちがいがわかる。
でも、日本に住まない(すまないで)、限られた(かぎられた)時間(じかん)で、日本語を勉強している人にとっては、このちょっとしたニュアンスのちがいがとても大事(だいじ)になってくる。
今回(こんかい)のチアゴ先生の質問もとってもいい勉強になった。私も一生懸命(いっしょうけんめい)勉強しないと。
「完全(かんぜん)」と「完璧(かんぺき)」のちがいは何(なん)ですか。
はい、はいそれは…とポルトガル語(ご)に訳(やく)してみると、彼(かれ)が言った(いった)とおり、同じ(おなじ)訳になってしまう…。
勉強(べんきょう)しているな~、チアゴ先生。
というわけで、また例文(れいぶん)を考える(かんがえる)ところから始めた(はじめた)。
「完全」を使った(つかった)例文(れいぶん)
1.完全に解決(かいけつ)できるまで、帰らないで(かえらないで)ください。
2.プレゼントのことは完全にわすれている。
3.この服(ふく)が完全に乾く(かわく)まで、ここに干して(ほして)おいてください。
4.完全燃焼(かんぜんねんしょう)
「完璧」を使った例文
1.あなたの日本語(にほんご)は完璧です。
2.(できあがった作品(さくひん)をみて)完璧だ。
3.彼は仕事(しごと)を完璧にこなす。
他(ほか)にも色々(いろいろ)と例文を考えて(かんがえて)みたところ、次(つぎ)のような結論(けつろん)にたどりついた。
「完全」も「完璧」も「文句(もんく)をいう必要(ひつよう)がないくらい」の意味(いみ)があるが、「完全」にはもっと広い(ひろい)意味がある。
完全には他に「全体(ぜんたい)」、「全部(ぜんぶ)」、「健全さ(けんぜんさ)」の意味もある。
特(とく)に、「完全に」には「すっかり」、「全く(まったく)」の意味があるが、「完璧に」にはこの意味がないので、同じように使うことはできない。
これに対して(たいして)「完璧に」は「欠けて(かけて)いるものが全くない」という意味が強い(つよい)。
また、「完全」はいつも「完全な」、「完全に」のように形容詞(けいようし)か副詞(ふくし)のかたちで使うか、「完全無欠(むけつ)」、「完全試合(じあい)」のように、他のことばをつけて使う。
しかし、「完璧」は他のことばをつけて使うことができないし、「完璧だ。」のように「~な」、「~に」をつけないで使うこともできる。
私がたどりついた答え(こたえ)は以上(いじょう)。
日本語学習者(がくしゅうしゃ)は勉強すればするほど、色々な疑問(ぎもん)がわいてくる。私たち日本人は子どものころから慣れた(なれた)感覚(かんかく)で日本語を使っているので、ちょっとしたニュアンスのちがいがわかる。
でも、日本に住まない(すまないで)、限られた(かぎられた)時間(じかん)で、日本語を勉強している人にとっては、このちょっとしたニュアンスのちがいがとても大事(だいじ)になってくる。
今回(こんかい)のチアゴ先生の質問もとってもいい勉強になった。私も一生懸命(いっしょうけんめい)勉強しないと。
2012年7月15日日曜日
ぼにーと・えあしん その2 - 森(もり)の散策(さんさく)
最終日(さいしゅうび)は自由(じゆう)だったので、森(もり)の中(なか)を散策(さんさく)するツアーに参加(さんか)した。
たくさん滝(たき)があって、入りたい(はいりたい)人(ひと)は入ることができるが、とっても寒かった(さむかった)ので、私は辞退(じたい)。
午後は市内(しない)の水族館(すいぞくかん)へ。小さいけれど、めずらしい魚がいて、おもしろかった。
ボニートはその名(な)の通り(とおり)Bonito(きれい)な町(まち)。時間(じかん)も正確(せいかく)で、ツアーはすべて予約制(よやくせい)。自然と上手(じょうず)に共生(きょうせい)しているのがよくわかる。
マナウスもボニートのように自然と上手に生きていく方法(ほうほう)を考えて(かんがえて)もらいたい。自然と共生できれば、マナウスも、もっともっといい町になると思う。
たくさん滝(たき)があって、入りたい(はいりたい)人(ひと)は入ることができるが、とっても寒かった(さむかった)ので、私は辞退(じたい)。
動物(どうぶつ)や鳥(とり)も人間(にんげん)におびえることなく、生活(せいかつ)している。それはここに観光(かんこう)にくる人も自然(しぜん)や動物を尊重(そんちょう)してすごしているからだと思う。
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| ビックリしてにげることもない |
午後は市内(しない)の水族館(すいぞくかん)へ。小さいけれど、めずらしい魚がいて、おもしろかった。
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| カシャーラ |
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| 川にすむエイ 毒(どく)はとってある |
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| 子どもたちにエサのあげかたも教えて(おしえて)くれた |
マナウスもボニートのように自然と上手に生きていく方法(ほうほう)を考えて(かんがえて)もらいたい。自然と共生できれば、マナウスも、もっともっといい町になると思う。
ぼにーと・えあしん その1 - 川下り(かわくだり)
先週(せんしゅう)、休み(やすみ)を利用(りよう)して、パンタナールの近く(ちかく)にある、マット・グロッソ・ド・スウ州(しゅう)のボニート市(し)にいってきた。
マナウスからは飛行機(ひこうき)で、ブラジリアまでとび、そのあと再び(ふたたび)飛行機でカンポ・グランジ市へ。そこからお迎え(むかえ)のマイクロバスにのって4時間かけて行く(いく)。
今回(こんかい)は4泊(はく)の旅(たび)なので、ツアー会社(がいしゃ)にパックをたのんでおいた。
移動中(いどうちゅう)の寒さ(さむさ)にふるえながら、カンポ・グランジにつくと、迎えのバスが待っていてくれた。バスでゆられること4時間。やっとボニートについたころには、もう夜(よる)になっていた。
ボニートのお店(みせ)やレストランは朝(あさ)8時から夜(よる)11時まで開いて(あいて)いる。ついた日も疲れて(つかれて)いたが、ゆっくりと夕食(ゆうしょく)がとれた。
明けて(あけて)2日目(ふつかめ)。まずはスクリー川(がわ)下り(くだり)をした。シュノーケルを使って(つかって)約(やく)50分(ぷん)かけて、ゆっくり下って(くだって)いく。川に入る(はいる)時は汚染(おせん)しないよう、日焼け止め(ひやけどめ)クリームや虫除け(むしよけ)などをつかってはいけない。
午後(ごご)は市内(しない)を観光(かんこう)。中心(ちゅうしん)に公園(こうえん)があって、ピラプタンガという魚(さかな)のモニュメントがあった。
3日(みっか)目は「自然(しぜん)の水槽(すいそう)」とよばれるフォモーゾ川に入った。こちらも約40分かけて川を下る。スクリー川にくらべ、水草(みずくさ)も魚も多く(おおく)、とてもきれいだった。
この川へは行きも帰り(かえり)も15分ほど森(もり)の中をあるかなくてはいけない。色々な(いろいろ)な動物(どうぶつ)にあえるので、それもまた楽しみ(たのしみ)。
午後は同じくフォモーゾ川でボート下り。 水が透明(とうめい)で、とっても静か(しずか)。鳥(とり)や虫(むし)の声(こえ)が聞こえて、とっても気持ち(きもち)いい。
川下りはとっても楽しかったし、また入りたいと思った(おもった)が、一つどうしても困った(こまった)ことがあった。それは、髪の毛(かみのけ)がとてもかたくなること。シャンプーで洗って(あらって)コンディショナーを何度(なんど)つけても、髪の毛が元(もと)にもどらない。かたくてくしが通らない(とおらない)。
ガイドに聞いてみると、ここの水は石灰質(せっかいしつ)が強く(つよく)、マグネシウムもたくさん含んで(ふくんで)いるので、かたくなるとのこと。
ふと、いつも髪の毛がサラサラになるアマゾン河のことを思い出した(おもいだした)。その2につづく…。
マナウスからは飛行機(ひこうき)で、ブラジリアまでとび、そのあと再び(ふたたび)飛行機でカンポ・グランジ市へ。そこからお迎え(むかえ)のマイクロバスにのって4時間かけて行く(いく)。
今回(こんかい)は4泊(はく)の旅(たび)なので、ツアー会社(がいしゃ)にパックをたのんでおいた。
ボニートはちょうど冬(ふゆ)が始まった(はじまった)ところと聞いて(きいて)いたので、長袖(ながそで)の服(ふく)をもっての旅行(りょこう)となった。
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| いたるところにアリ塚(づか)がある |
ボニートのお店(みせ)やレストランは朝(あさ)8時から夜(よる)11時まで開いて(あいて)いる。ついた日も疲れて(つかれて)いたが、ゆっくりと夕食(ゆうしょく)がとれた。
明けて(あけて)2日目(ふつかめ)。まずはスクリー川(がわ)下り(くだり)をした。シュノーケルを使って(つかって)約(やく)50分(ぷん)かけて、ゆっくり下って(くだって)いく。川に入る(はいる)時は汚染(おせん)しないよう、日焼け止め(ひやけどめ)クリームや虫除け(むしよけ)などをつかってはいけない。
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| 足(あし)を床(ゆか)につけると砂(すな)が舞い上がる(まいあがる)ので足をつけないようにする |
午後(ごご)は市内(しない)を観光(かんこう)。中心(ちゅうしん)に公園(こうえん)があって、ピラプタンガという魚(さかな)のモニュメントがあった。
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| ピラプタンガは川で一番(いちばん)見られる(みられる) |
この川へは行きも帰り(かえり)も15分ほど森(もり)の中をあるかなくてはいけない。色々な(いろいろ)な動物(どうぶつ)にあえるので、それもまた楽しみ(たのしみ)。
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| こんなところにもアリ塚が |
川下りはとっても楽しかったし、また入りたいと思った(おもった)が、一つどうしても困った(こまった)ことがあった。それは、髪の毛(かみのけ)がとてもかたくなること。シャンプーで洗って(あらって)コンディショナーを何度(なんど)つけても、髪の毛が元(もと)にもどらない。かたくてくしが通らない(とおらない)。
ガイドに聞いてみると、ここの水は石灰質(せっかいしつ)が強く(つよく)、マグネシウムもたくさん含んで(ふくんで)いるので、かたくなるとのこと。
ふと、いつも髪の毛がサラサラになるアマゾン河のことを思い出した(おもいだした)。その2につづく…。
2012年7月1日日曜日
フェスタ・ジュニーナ
先日(せんじつ)、娘(むすめ)の学校(がっこう)のフェスタジュニーナがあった。
フェスタジュニーナとはブラジルで6月に行われる(おこなわれる)、国民的(こくみんてき)なお祭り(まつり)。
もともとキリスト教(きょう)の聖人(せいじん)を讃える(たたえる)6月の祝日(しゅくじつ)に加え(くわえ)、同じ(おなじ)時期(じき)の夏至(げし)(ブラジルでは冬至(とうじ))をむかえるお祭りとしてヨーロッパで始まった(はじまった)ものが、ポルトガル植民地(しょくみんち)時代(じだい)ブラジルにも伝わり(つたわり)、伝統的(でんとうてき)なお祭りとなったらしい。
ふつう、フェスタ・ジュニーナでは田舎(いなか)の人のかっこうをする。
男性(だんせい)はわざと破れた(やぶれた)麦(むぎ)わら帽子(ぼうし)をかぶり、ギンガムチェックの シャツにやぶれたジーンズをはいて、ひげを書き(かき)、女性(じょせい)はスカートに三つあみをして、そばかすを書く。
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| Festa de São João (聖ジョアン)のおどり |
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| 田舎風(ふう)にそばかすをかいて、三つあみをする |
カーニバルとは全く(まったく)ちがった雰囲気(ふんいき)で、おどりや服装(ふくそう)も全然(ぜんぜん)ちがうが、実(じつ)はこれも大きな(おおきな)お祭り。
我が家(わがや)の裏(うら)にあるちょっと大きい公園(こうえん)でも、この時期(じき)はこの祭りがあって、週末(しゅうまつ)はとくに夜(よる)遅く(おそく)まで音楽が流れて(ながれて)いたり、ものすごい車(くるま)で混雑(こんざつ)する。
今回の娘の学校のフェスタ・ジュニーナは1クラスずつ舞台(ぶたい)に上がって(あがって)の発表会(はっぴょうかい)だった。
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| Tarentela(イタリア)のおどり |
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| Portuguesa(ポルトガル) のおどり |
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| Ciranda(ブラジル・ペルナンブコ州) のおどり |
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| 青(あお)のチームCaprichoso(カプリショーゾ) |
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| 赤(あか)のチームGarantido(ガランチード) |
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| インドのおどりを踊った子 |
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