先週(せんしゅう)の土曜日(どようび)から、また新しく(あたらしく)子どもクラスの授業(じゅぎょう)が始まった(はじまった)。
今回(こんかい)のクラスは6人(にん)スタート。
ひでよし、ひでとし兄弟(きょうだい)は日本(にほん)にずっと住んで(すんで)いて、去年(きょねん)ブラジルに帰って(かえって)きたばかり。私(わたし)と同じく(おなじく)ポルトガル語(ご)のほうが難しい(むずかしい)らしいので、私は日本(にほん)語オンリーでいけそう。クラスのレベルをあげてくれると期待(きたい)。
さゆりちゃん、るなちゃん、かずあきくんはみんなおじいちゃんやおばあちゃんが日本人の子どもたち。一生懸命(いっしょうけんめい)がんばって、少し(すこし)でも多く(おおく)おじいちゃんたちと日本語で話して(はなして)ほしいな。
ただ一人(ひとり)、非日系人(ひにっけいじん)のイザベラちゃんは、通って(かよって)いる教会(きょうかい)に日本人(にほんじん)や日系人が多い(おおい)ので、言葉(ことば)をよく知って(しって)いる。ハンディはあるかもしれないけれど、みんなに負けず(まけず)、きっとがんばってくれるでしょう。
さて、今年(ことし)もまた一年(いちねん)、この子たちといっしょに勉強する(べんきょう)できるのが楽しみ(たのしみ)だわ。
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2014年2月4日火曜日
2014年1月31日金曜日
さんがぶりえるだかしょえいら・えあしん
休み(やすみ)を利用(りよう)して、マナウスから850キロメートルほど離れた(はなれた)田舎(いなか)、サンガブリエル・ダ・カショエイラへ行って(いって)きた。この町(まち)に行く(いく)のは今回で2回目。
マナウスからはふつう船(ふね)で3日(みっか)かかる。しかも船の名前(なまえ)は「タナカ4」。サンガブリエルに行く船にはかかせないタナカ船(せん)。なぜ名前がタナカなのかときいてもみんなは知らない(しらない)。船のオーナーを見て(みて)みても、日本人(にほんじん)には絶対(ぜったい)に見えない。で、オーナーに直接(ちょくせつ)きいてみると、なんと彼(かれ)のおじいさんが日本人で、自分(じぶん)は日系人(にっけい)人だという。
ほほー。こんなところでも日本人が活躍(かつやく)していたんだと、少し(すこし)うれしくなる。
今回(こんかい)はあまり時間(じかん)もなかったので、ふつう船ではなくタナカさんの高速船(こうそくせん)を使って(つかって)みた。高速船といえどもぴったり24時間の旅(たび)。
船の中はまるで飛行機(ひこうき)のよう。クーラーやテレビもついていて、船の従業員(じゅうぎょういん)もちょこちょこ掃除(そうじ)をしているので、きれいで快適(かいてき)。ただ、イスがリクライニングできないので座った(すわった)ままで寝る(寝る)ことができない人にはつらいと思う(おもう)。
行きはいろいろとハプニングがあったけれど、帰り(かえり)は出発(しゅっぱつ)時間も、到着(とうちゃく)時間も予定(予定)通り(どおり)。大(たい)したもんだわ。
サンガブリエルはベネズエラやコロンビアの近く(ちかく)にあり、住民(じゅうみん)はインジオ(ブラジル原住民(げんじゅうみん))が大半(たいはん)を占める(しめる)。
サンガブリエルは自然(しぜん)がいっぱい。ただ、街(まち)中の道(みち)のいたるところにゴミがちらばっており、それだけは残念(ざんねん)に思った。でも、田舎ということもあって、小さな子どもたちは何(なん)にもおびえることなく、パンツ一枚(いちまい)で、道端(みちばた)にでたりして遊んで(あそんで)いる。スポーツ場(じょう)などはないが、私が子どものころ日本で遊んでいたように、近所(きんじょ)の子どもたちがあつまって、ボール一つであそんだりしている。のんびりしていて、イライラすることがない。
バスがないので、交通手段(こうつうしゅだん)は相乗り(あいのり)タクシー。値段(ねだん)は中心街(ちゅうしんがい)の中であれば片道(かたみち)一律(いちりつ)2.5レアル(107円くらい)なので、移動(いどう)もかんたん。
サンガブリエルはネグロ河(がわ)に面(めん)しているので、ボートがあればどこにでもいくことができる。今回はスピードボートで近く(ちかく)の砂浜(すなはま)へ。河の流れ(ながれ)はとても速く(はやく)、河の下はいたるところに石(いし)があるので、慣れた(なれた)人だけがボートを運転(うんてん)できる。私のようにこの土地(とち)になれていない人はこの河に入るのに勇気(ゆうき)がいると思うが、ここになれた子どもたちは足(あし)がつかないようなところにもジャポンジャポンと入って(はいって)いく。
これは日本でも最近(さいきん)知られる(しられる)ようになってきたアサイーという鉄分(てつぶん)たっぷりのフルーツの実(み)をとっているところ。
マナウスとはまたちがった文化(ぶんか)のあるサンガブリエル。しかし、暑かった(あつかった)なー。でも、のんびりできて楽し(たのし)かった。
マナウスからはふつう船(ふね)で3日(みっか)かかる。しかも船の名前(なまえ)は「タナカ4」。サンガブリエルに行く船にはかかせないタナカ船(せん)。なぜ名前がタナカなのかときいてもみんなは知らない(しらない)。船のオーナーを見て(みて)みても、日本人(にほんじん)には絶対(ぜったい)に見えない。で、オーナーに直接(ちょくせつ)きいてみると、なんと彼(かれ)のおじいさんが日本人で、自分(じぶん)は日系人(にっけい)人だという。
ほほー。こんなところでも日本人が活躍(かつやく)していたんだと、少し(すこし)うれしくなる。
今回(こんかい)はあまり時間(じかん)もなかったので、ふつう船ではなくタナカさんの高速船(こうそくせん)を使って(つかって)みた。高速船といえどもぴったり24時間の旅(たび)。
船の中はまるで飛行機(ひこうき)のよう。クーラーやテレビもついていて、船の従業員(じゅうぎょういん)もちょこちょこ掃除(そうじ)をしているので、きれいで快適(かいてき)。ただ、イスがリクライニングできないので座った(すわった)ままで寝る(寝る)ことができない人にはつらいと思う(おもう)。
行きはいろいろとハプニングがあったけれど、帰り(かえり)は出発(しゅっぱつ)時間も、到着(とうちゃく)時間も予定(予定)通り(どおり)。大(たい)したもんだわ。
サンガブリエルはベネズエラやコロンビアの近く(ちかく)にあり、住民(じゅうみん)はインジオ(ブラジル原住民(げんじゅうみん))が大半(たいはん)を占める(しめる)。
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| Bela Adomercida(ねむれる森(もり)の美女(びじょ))とよばれている山脈(さんみゃく) 角度(かくど)がピタッとあえば本当に女性(じょせい)が横(よこ)たわっているように見える |
サンガブリエルは自然(しぜん)がいっぱい。ただ、街(まち)中の道(みち)のいたるところにゴミがちらばっており、それだけは残念(ざんねん)に思った。でも、田舎ということもあって、小さな子どもたちは何(なん)にもおびえることなく、パンツ一枚(いちまい)で、道端(みちばた)にでたりして遊んで(あそんで)いる。スポーツ場(じょう)などはないが、私が子どものころ日本で遊んでいたように、近所(きんじょ)の子どもたちがあつまって、ボール一つであそんだりしている。のんびりしていて、イライラすることがない。
バスがないので、交通手段(こうつうしゅだん)は相乗り(あいのり)タクシー。値段(ねだん)は中心街(ちゅうしんがい)の中であれば片道(かたみち)一律(いちりつ)2.5レアル(107円くらい)なので、移動(いどう)もかんたん。
サンガブリエルはネグロ河(がわ)に面(めん)しているので、ボートがあればどこにでもいくことができる。今回はスピードボートで近く(ちかく)の砂浜(すなはま)へ。河の流れ(ながれ)はとても速く(はやく)、河の下はいたるところに石(いし)があるので、慣れた(なれた)人だけがボートを運転(うんてん)できる。私のようにこの土地(とち)になれていない人はこの河に入るのに勇気(ゆうき)がいると思うが、ここになれた子どもたちは足(あし)がつかないようなところにもジャポンジャポンと入って(はいって)いく。
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| ここはどこまでいっても腰(こし)の高さ(たかさ)くらいの水位(すいい)が続いて(つづいて)いる。 水位が減る(へる)時期(じき)は、ここ一面(いちめん)砂浜になる |
マナウスとはまたちがった文化(ぶんか)のあるサンガブリエル。しかし、暑かった(あつかった)なー。でも、のんびりできて楽し(たのし)かった。
2013年11月30日土曜日
子どもクラス修了式(しゅうりょうしき)2013
今日(きょう)は修了式(しゅうりょうしき)ということで、みんなで発表(はっぴょう)したりクリスマスカードを作ったり(つくったり)歌(うた)を歌ったりした。
日本(にほん)のことについてのまるバツゲームは難しい(むずかしい)と思った(おもった)けれど、みんな結構(けっこう)知っていて(しっていて)なかなかひっかからかなかったな。
また長い(ながい)お休み(やすみ)に入ります(はいります)。みんな日本語(にほんご)忘れ(わすれ)ないでね。
日本(にほん)のことについてのまるバツゲームは難しい(むずかしい)と思った(おもった)けれど、みんな結構(けっこう)知っていて(しっていて)なかなかひっかからかなかったな。
また長い(ながい)お休み(やすみ)に入ります(はいります)。みんな日本語(にほんご)忘れ(わすれ)ないでね。
2013年11月23日土曜日
おりがみの授業(じゅぎょう) - おすもうさん
今日(きょう)の授業(じゅぎょう)は、今年(ことし)最後(さいご)だったので、みんなでおりがみをして遊ぶ(あそぶ)ことにした。
おりがみはみんな大好き(だいすき)。おすもうさんを作って(つくって)遊んだ。
せっかくなので、自分(じぶん)たちで名前(なまえ)をつけて、本当(ほんとう)のすもうのように東(ひがし)と西(にし)の力士(りきし)を紹介(しょうかい)した後「見合って(みあって)見合って、はっけよい、のこった!」で試合(しあい)開始(かいし)。楽しく(たのしく)時間(じかん)が過ぎた(すぎた)。あとは、来週(らいしゅう)の修了式(しゅうりょうしき)で今年もおわり。
おりがみはみんな大好き(だいすき)。おすもうさんを作って(つくって)遊んだ。
せっかくなので、自分(じぶん)たちで名前(なまえ)をつけて、本当(ほんとう)のすもうのように東(ひがし)と西(にし)の力士(りきし)を紹介(しょうかい)した後「見合って(みあって)見合って、はっけよい、のこった!」で試合(しあい)開始(かいし)。楽しく(たのしく)時間(じかん)が過ぎた(すぎた)。あとは、来週(らいしゅう)の修了式(しゅうりょうしき)で今年もおわり。
2013年10月20日日曜日
子どもクラス習字(しゅうじ)の授業(じゅぎょう)2013
今回(こんかい)の子どもクラスの授業(じゅぎょう)はまたまた習字(しゅうじ)。このクラスで習字をするのは初めて(はじめて)なので、筆(ふで)を初めて使った(つかった)子もいた。
ちょうどいい机(つくえ)が足りず(たりず)に、スペースがなかったのがちょっとかわいそう。
ブラジルの小学校(しょうがっこう)は日本(にほん)の小学校とちがい、 まず、子どもたちのえんぴつの持ち方(もちかた)を直したり(なおしたり)しない。だから、えんぴつの持ち方が、すごくおかしい子もたくさんいる。そして、そのまま大人(おとな)になり、すごい持ち方をして書類(しょるい)や領収書(りょうしゅうしょ)を書いて(かいて)いる人もよく見(み)かける。
というわけで、筆を正しく(ただしく)持たせたくても、上手(じょうず)にもてない子もいるので、時間(じかん)もかかる。
何度(なんど)書き順(じゅん)を正しく(ただしく)教えても(おしえて)もなかなかおぼえてもらえない。肩(かた)に力(ちから)をいれないようにと言って(いって)も、力がうまくぬけない子もいる。
でも、今回の授業は子どもたちに楽しんで(たのしんで)もらうことを目標(もくひょう)にしたので、のびのびと書いてくれたと思う(おもう)。
最後(さいご)に筆の洗い(あらい)方も教えて、後片付け(あとかたづけ)も自分(じぶん)たちでできたし、少しは(すこし)は楽しんでもらえたかな。
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| 自分たちのすきな漢字(かんじ)を書いてくれた |
2013年9月22日日曜日
マナウス日本語弁論(にほんごべんろん)・お話大会(おはなしたいかい)2013
今年(ことし)も、ついに日本語弁論・お話大会の日(ひ)がやってきた。
去年(きょねん)は子どもの参加者(さんかしゃ)がとても少なかった(すくなかった)ので、今年は私(わたし)のクラスの子(こ)どもたち全員(ぜんいん)を大会参加(さんか)させるようにした。
作文(さくぶん)を3月(がつ)からはじめ、夏休み(なつやすみ)にはいる前(まえ)の6月には全員分(ぶん)の録音(ろくおん)もできあがっていた。
しかし、ここまでみんながたどりつくのは、本当に(ほんとうに)大変(たいへん)で、それは想像(そうぞう)以上(いじょう)だった…。
たった7人(にん)だったのに、子どもたちの作文を簡単な(かんたんな)ものになおし、CDやUSBに録音しても、その録音したものをなくした子もたくさんいたし、7月にあった一ヶ月間(いっかげつかん)の休みも、やはり練習(れんしゅう)をきちんとしてきた子は一人(ひとり)もいなかった。
子どもも忍耐(にんたい)、私も忍耐。文句(もんく)をいわれても、絶対に(ぜったい)にあきらめさせる気(き)はなかったし、子どもたちもがんばって最後の授業(じゅぎょう)は、ほぼ全員が発表する内容(ないよう)をほぼ完璧(かんぺき)に暗記(あんき)してきた。
練習の当日(とうじつ)に、あまりの緊張(きんちょう)から泣いて(ないて)しまった子もいた。
私は、子どもむけであるお話大会の指導(しどう)方法(ほうほう)は、大人向けの弁論大会の指導方法とはちがうものにしている。
大人には内容(ないよう)、イントネーション、ジェスチャーなどを細かく(こまかく)、しつこく求め(もとめ)、それが直る(なおる)まで絶対に譲らない。
でも、たった1週間(しゅうかん)に一度(いちど)しか授業がなく、家(いえ)でも話す機会(きかい)がないような子どもたちに、同じ(おなじ)ように要求(ようきゅう)してしまうと、息(いき)がつまって、楽しく(たのしく)おぼえることができない。楽しくおぼえられないと日本語がきらいになってしまうかもしれない。
ということで、今回はまず「たくさんの人の前で日本語で話すことを体験(たいけん)」を目標(もくひょう)にした。声(こえ)の大きさ(おおきさ)やイントネーション、速さ(はやさ)など、一つでもいいところを見つけ、いいところはとことんほめて自信(じしん)をもたせた。どんな子どもにもかならずいいところがある。
「やはり子どもはすばらしい」と思ったのは、素直(すなお)にそれをうけいれるところ。
練習で泣いてしまった生徒も、何度(なんど)も何度も練習し、心(こころ)を落ち着かせて(おちつかせて)本番(ほんばん)をむかえ、無事(ぶじ)に発表を終えたすがたをみたときには、子どもたちといっしょに練習をさせてもらって本当によかったと心から思った(おもった)。
弁論大会にしても、お話大会にしても、生徒といっしょに練習をさせてもらい、それによって学ばされることがたくさんある。
子どもたちが大きくなり、いつか今回のこの経験(けいけん)が、彼ら(かれら)にとって意味(いみ)のあるものだったと思ってくれたら、私にこれ以上の幸せ(しあわせ)はないな。
去年(きょねん)は子どもの参加者(さんかしゃ)がとても少なかった(すくなかった)ので、今年は私(わたし)のクラスの子(こ)どもたち全員(ぜんいん)を大会参加(さんか)させるようにした。
作文(さくぶん)を3月(がつ)からはじめ、夏休み(なつやすみ)にはいる前(まえ)の6月には全員分(ぶん)の録音(ろくおん)もできあがっていた。
しかし、ここまでみんながたどりつくのは、本当に(ほんとうに)大変(たいへん)で、それは想像(そうぞう)以上(いじょう)だった…。
たった7人(にん)だったのに、子どもたちの作文を簡単な(かんたんな)ものになおし、CDやUSBに録音しても、その録音したものをなくした子もたくさんいたし、7月にあった一ヶ月間(いっかげつかん)の休みも、やはり練習(れんしゅう)をきちんとしてきた子は一人(ひとり)もいなかった。
子どもも忍耐(にんたい)、私も忍耐。文句(もんく)をいわれても、絶対に(ぜったい)にあきらめさせる気(き)はなかったし、子どもたちもがんばって最後の授業(じゅぎょう)は、ほぼ全員が発表する内容(ないよう)をほぼ完璧(かんぺき)に暗記(あんき)してきた。
練習の当日(とうじつ)に、あまりの緊張(きんちょう)から泣いて(ないて)しまった子もいた。
私は、子どもむけであるお話大会の指導(しどう)方法(ほうほう)は、大人向けの弁論大会の指導方法とはちがうものにしている。
大人には内容(ないよう)、イントネーション、ジェスチャーなどを細かく(こまかく)、しつこく求め(もとめ)、それが直る(なおる)まで絶対に譲らない。
でも、たった1週間(しゅうかん)に一度(いちど)しか授業がなく、家(いえ)でも話す機会(きかい)がないような子どもたちに、同じ(おなじ)ように要求(ようきゅう)してしまうと、息(いき)がつまって、楽しく(たのしく)おぼえることができない。楽しくおぼえられないと日本語がきらいになってしまうかもしれない。
ということで、今回はまず「たくさんの人の前で日本語で話すことを体験(たいけん)」を目標(もくひょう)にした。声(こえ)の大きさ(おおきさ)やイントネーション、速さ(はやさ)など、一つでもいいところを見つけ、いいところはとことんほめて自信(じしん)をもたせた。どんな子どもにもかならずいいところがある。
「やはり子どもはすばらしい」と思ったのは、素直(すなお)にそれをうけいれるところ。
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弁論大会にしても、お話大会にしても、生徒といっしょに練習をさせてもらい、それによって学ばされることがたくさんある。
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| 弁論大会の上位(じょうい)二人は全国(ぜんこく)大会へ。おめでとう。がんばってきてね。 セザーさん(左)とセルジオさん(右) |
2013年9月11日水曜日
「楽し(たのし)がる」
先日(せんじつ)、子どもと遊んで(あそんで)いるときに、「楽し(たのし)がって、あそんでいたら」と聞いて(きいて)、少し(すこし)違和感(いわかん)を感じた(かんじた)。その時(とき)は「おもしろがって、あそんでいたら」というよと直した(なおした)。
「楽しがる」は一体(いったい)正しい(ただしい)のだろうか。
「~がる」はふつう、だれかの様子(ようす)や気持ち(きもち)をほかの人(ひと)が表す(あらわす)時に使う(つかう)。
例えば、「ほしい」や「~たい」ということばは、自分(じぶん)の気持ちを伝える(つたえる)時に使うので、
「私(わたし)は車(くるま)がほしい。」ということはできても、
「彼(かれ)は車がほしい。」というと、不自然(ふしぜん)になる。
この場合(ばあい)、「彼は車をほしがっている。」とか「彼は車がほしいらしい。」というふうに表現(ひょうげん)するのが正しい。
「悲しい(かなしい)」を「悲しがる」と使うのであれば、「楽しがる」も、気持ちをあらわすことばに「~がる」をつけているだけなので、文法上(ぶんぽうじょう)は正しいことになる。
では、なぜ違和感を感じるのだろう。
私が思うところ、誰か(だれか)の「楽しい」という気持ちを表現するとき、「楽しがる」よりも、「楽しむ」ということばをよく使う。
最初(さいしょ)の例(れい)でいえば、
「楽しんであそんでいた。」(→楽しむ+で)というのが、聞き(きき)なれた表現だと思う。
文法上では正しくても、あまり使われていない表現を使うと人に違和感をあたえるので、ただ、直してあげるのではなく、それがどうしてまちがっているのかを追究(ついきゅう)することも大事(だいじ)だなと感じた一日(いちにち)だった。
「楽しがる」は一体(いったい)正しい(ただしい)のだろうか。
「~がる」はふつう、だれかの様子(ようす)や気持ち(きもち)をほかの人(ひと)が表す(あらわす)時に使う(つかう)。
例えば、「ほしい」や「~たい」ということばは、自分(じぶん)の気持ちを伝える(つたえる)時に使うので、
「私(わたし)は車(くるま)がほしい。」ということはできても、
「彼(かれ)は車がほしい。」というと、不自然(ふしぜん)になる。
この場合(ばあい)、「彼は車をほしがっている。」とか「彼は車がほしいらしい。」というふうに表現(ひょうげん)するのが正しい。
「悲しい(かなしい)」を「悲しがる」と使うのであれば、「楽しがる」も、気持ちをあらわすことばに「~がる」をつけているだけなので、文法上(ぶんぽうじょう)は正しいことになる。
では、なぜ違和感を感じるのだろう。
私が思うところ、誰か(だれか)の「楽しい」という気持ちを表現するとき、「楽しがる」よりも、「楽しむ」ということばをよく使う。
最初(さいしょ)の例(れい)でいえば、
「楽しんであそんでいた。」(→楽しむ+で)というのが、聞き(きき)なれた表現だと思う。
文法上では正しくても、あまり使われていない表現を使うと人に違和感をあたえるので、ただ、直してあげるのではなく、それがどうしてまちがっているのかを追究(ついきゅう)することも大事(だいじ)だなと感じた一日(いちにち)だった。
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