私はいつも授業(じゅぎょう)で書き順(かきじゅん)を正しく(ただしく)するようにいう。ひらがなでも、カタカナでも、漢字(かんじ)であっても。
でも、生徒(せいと)はどうして書き順が大事(だいじ)なのか、よくわかってくれない。それは子どもでも大人(おとな)でも同じ(おなじ)。
私は書き順は大事だと思う。それは「漢字の辞書(じしょ)をひくときに役(やく)にたつ」とか、「字がきれいに書ける」からというばかりではなく、上(うえ)から下(した)にむかって書くか、下から上にむかって書くかで、ちがう字になってしまうことがあるし、二画(にかく)を一筆(ひとふで)でつづけて書かずに、一画(いっかく)一画を正しく書かないと、字の形もくずれてしまう。
どうやらアルファベットをつかう人の多く(おおく)は書き順が正しくても、まちがっていても気にしないらしい。また、「とめ」や「はね」、「はらい」といったものがない。大事(だいじ)なのは書いた字が読めるかどうか。だから私の生徒の中(なか)にも、日本語で字(じ)を書くときに書き順をめちゃくちゃに書いている子がいる。最後(さいご)に書いた字がおなじ形(かたち)で終わって(おわって)いれば、それでいいと思う(おもう)のだろう。
でも、日本語では書き順を正しく、そして「とめ」、「はね」、「はらい」を正しく書かないと、字がおかしくなってしまう。
例えば(たとえば)、「帰」という漢字の「リ」の部分(ぶぶん)を「刂」と書いてしまったら、正しい漢字ではなくなってしまうし、反対(はんたい)に、「列」という漢字の「刂」の部分を「リ」と書いてしまったら、これもまた間違いになってしまう。
ちなみに、ここブラジルでは字を書くとき、紙(かみ)を90度(ど)回して(まわして)、下から上にむかって一字ずつ書いていく人もよくいる。(結果(けっか)、書き終わったものを90度もどして元通り(もとどおり)に置いて(おいて)みたら、きちんと右(みぎ)から左(ひだり)にむかって書いてあるように見える…。)
少し難しい(むずかしい)漢字の書き順などは、私もまちがって覚えて(おぼえて)いることがあるので、突然(とつぜん)きかれたときは、正直(しょうじき)に「自信(じしん)がないから、確認(かくにん)させて」と生徒にことわり、辞書(じしょ)で調べて(しらべて)から教える(おしえる)。
手紙(てがみ)やメモを書くとき、自分ではなかなか書き順を疑問(ぎもん)に思わず、手(て)が動く(うごく)とおりに書いている。ところが、生徒からの質問だと、うそを教えることはできないので、こうなってしまう。
でも、これが私にとって、とてもいい勉強(べんきょう)になる。新しい(あたらしい)発見(はっけん)があるから、「いい質問(しつもん)」だったといつも生徒に感謝(かんしゃ)する。
前(まえ)にインターネットでひとつの記事(きじ)を見つけたことがある。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140627/crm14062714150009-n1.htm
これは日本の酒造(しゅぞう)メーカー「キリン」のまねをして、偽物(にせもの)のビール券(けん)をつくり、そこに「キリン(きりん)」ではなく「キリソ(きりそ)」と書いたという記事(もしかしたら、まちがって書いてしまったのかもしれないけれど…)。
タイトルを見たときにどう読むか。日本人(にほんじん)は「きりそ」とよむことができるだろうが、外国人(がいこくじん)にはこのちがいがわかるだろうか。自然に(しぜんに)「きりん」とよむ人も多い(おおい)だろう。日本人であっても、注意(ちゅうい)をしないで見ただけでは、気づかないひともいるかもしれない。そこが狙い(ねらい)だったのかもしれない。
「い」と「り」、「か」と「や」、「ン(ん)」と「ソ(そ)」や「カ(か)」と「ヤ(や)」、「ア(あ)」と「ヤ(や)」など… ひらがなとカタカナだけでも生徒がが間違えやすい字がある。
さらに、「う」や「や」などの「、(てん)」を一番(いちばん)最後(さいご)に書いたりする生徒もたくさん…。
漢字の多くはカタカナを部分的(てき)につかっているので、くせがつく前になおしてあげたい。いつか、「やっぱり書き順は大事だ」って思ってくれるとうれしいけれど。