去年(きょねん)は子どもの参加者(さんかしゃ)がとても少なかった(すくなかった)ので、今年は私(わたし)のクラスの子(こ)どもたち全員(ぜんいん)を大会参加(さんか)させるようにした。
作文(さくぶん)を3月(がつ)からはじめ、夏休み(なつやすみ)にはいる前(まえ)の6月には全員分(ぶん)の録音(ろくおん)もできあがっていた。
しかし、ここまでみんながたどりつくのは、本当に(ほんとうに)大変(たいへん)で、それは想像(そうぞう)以上(いじょう)だった…。
たった7人(にん)だったのに、子どもたちの作文を簡単な(かんたんな)ものになおし、CDやUSBに録音しても、その録音したものをなくした子もたくさんいたし、7月にあった一ヶ月間(いっかげつかん)の休みも、やはり練習(れんしゅう)をきちんとしてきた子は一人(ひとり)もいなかった。
子どもも忍耐(にんたい)、私も忍耐。文句(もんく)をいわれても、絶対に(ぜったい)にあきらめさせる気(き)はなかったし、子どもたちもがんばって最後の授業(じゅぎょう)は、ほぼ全員が発表する内容(ないよう)をほぼ完璧(かんぺき)に暗記(あんき)してきた。
練習の当日(とうじつ)に、あまりの緊張(きんちょう)から泣いて(ないて)しまった子もいた。
私は、子どもむけであるお話大会の指導(しどう)方法(ほうほう)は、大人向けの弁論大会の指導方法とはちがうものにしている。
大人には内容(ないよう)、イントネーション、ジェスチャーなどを細かく(こまかく)、しつこく求め(もとめ)、それが直る(なおる)まで絶対に譲らない。
でも、たった1週間(しゅうかん)に一度(いちど)しか授業がなく、家(いえ)でも話す機会(きかい)がないような子どもたちに、同じ(おなじ)ように要求(ようきゅう)してしまうと、息(いき)がつまって、楽しく(たのしく)おぼえることができない。楽しくおぼえられないと日本語がきらいになってしまうかもしれない。
ということで、今回はまず「たくさんの人の前で日本語で話すことを体験(たいけん)」を目標(もくひょう)にした。声(こえ)の大きさ(おおきさ)やイントネーション、速さ(はやさ)など、一つでもいいところを見つけ、いいところはとことんほめて自信(じしん)をもたせた。どんな子どもにもかならずいいところがある。
「やはり子どもはすばらしい」と思ったのは、素直(すなお)にそれをうけいれるところ。
弁論大会にしても、お話大会にしても、生徒といっしょに練習をさせてもらい、それによって学ばされることがたくさんある。
弁論大会の上位(じょうい)二人は全国(ぜんこく)大会へ。おめでとう。がんばってきてね。 セザーさん(左)とセルジオさん(右) |