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2012年8月22日水曜日

文法(ぶんぽう)の大切さ(たいせつさ)

日本語能力検定試験(にほんごのうりょくけんていしけん)の申込期間(もうしこみきかん)がもう少し(すこし)で終わる(おわる)。

よくきかれるのが、この試験に合格(ごうかく)すると何(なん)のメリットがあるか。

「仕事(しごと)がみつかりますか。」とか、「日本へ行け(いけ)ますか。」ときいてくる人までいる。

残念(ざんねん)ながら、それはご本人(ほんにん)次第(しだい)。日本では大学(だいがく)に留学(りゅうがく)するため、または仕事をみつけるための資格(しかく)として使う(つかう)ことができるが、ここではまだそれを利用(りよう)してくれる会社(かいしゃ)がほとんどない。

でも、実(じつ)は試験に合格するためにどれくらいの努力(どりょく)が必要(ひつよう)か、そしてその努力をすることで何(なに)が得られる(えられる)かが、わかっていない。

私もここに住み(すみ)はじめて10年以上(いじょう)経った(たった)。今(いま)では生活(せいかつ)するためだけでなく、仕事でもポルトガル語が必要(ひつよう)なのでポルトガル語を使う(つかう)。会話(かいわ)をする面(めん)ではまず不自由(ふじゆう)を感じる(かんじる)ことはなくなった。

友だち(ともだち)と話(はなし)をするとき、クレームをいうとき、仕事で話すとき、間違え(まちがえ)はあるだろうが、とりあえず相手(あいて)はわかってくれる。ところが、自分(じぶん)のポルトガルの中途半端(ちゅうとはんぱ)さを痛い(いたい)くらい感じる(かんじる)ときがある。

それは、文書(ぶんしょ)を書く(かく)とき。

私はポルトガル語の文法(ぶんぽう)をきちんと勉強(べんきょう)したことがない。ここに来て(きて)はじめの2年はほとんど英語(えいご)を使ってすごし、ポルトガル語を覚え(おぼえ)なかった。授業(じゅぎょう)はほとんど直説法(ちょくせつほう)ですごした。親切な(しんせつな)日本人の方(かた)も多く(おおく)、困った(こまった)ときはたすけてもらい、迷惑(めいわく)をかけながらも青年(せいねん)ボランティアの任期中(にんきちゅう)は何(なん)とかすごせた。

ところが仕事で文書を書くことがふえた今、自分のポルトガル語の作文(さくぶん)能力の弱さ(よわさ)に泣き(なき)たくなる。

ポルトガル語にも日本語とはちがうにしろ、尊敬表現(そんけいひょうげん)がある。友だちに出すような手紙(てがみ)であれば書けるが、公(おおやけ)の機関(きかん)に出す文書の場合(ばあい)、書いても、それが果たして(はたして)文法的(ぶんぽうてき)にあっているかどうかが自分ではわからず、だれかにチェックしてもらうまで出すことができない。

私の場合、英語の能力も決して(けっして)優れて(すぐれて)いるとは思わない(おもわない)が、こういう文は英語で書くほうが簡単(かんたん)だと思うことがよくある。それは英語の文法がポルトガル語の文法にくらべてシンプルだということもあるが、それよりも何よりも会話とともに0から文法を勉強したことが大きい(おおきい)。

日本語を教える(おしえる)とき、多く(おおく)の生徒ははまず会話が上手(じょうず)になりたいという。たのしく会話をしたかったり、仕事で必要だからだったり、興味(きょうみ)があることを楽しむためだったり、それは色々な(いろいろな)理由(りゆう)からだと思う。もちろん、私も会話が上手になることに大賛成(だいさんせい)。でも、たいていの生徒は会話が上手になると、もっともっと日本語をみがこうという努力をしなくなる。

そして、会話だけに力(ちから)をいれていたら、生徒たちもいつか限界(げんかい)を感じるときがくる。文を書くことはあまりないかもしれないが、話をしていても、正しく(ただしく)話せているか、自分のいっていることが相手に間違いなくつたわっているか自信(じしん)をもつことができない。

コミュニケーションをとれるようになるのが大事(だいじ)だとは思うが、日本語を覚えて上手に話せるようになりたいと思っている人には会話ばかりではなく、文法もきちんと勉強してもらいたいと思う。

日本語能力試験は文法をきちんと勉強した人、あるいは日本人のように自然(しぜん)と覚えた人でなければ答える(こたえる)ことができない。それぞれのレベルの合格を目指して(めざして)勉強すること、その過程(かてい)がとても大事であって、結果(けっか)がすべてではないはず。

生徒にはいつも「自分のレベルに満足(まんぞく)してしまわないで向上心(こうじょうしん)をもっていてほしい」と思う。そして能力試験は「どれくらい自分のレベルをのばすことができたか。」を知る(しる)のにとてもいい機会(きかい)なので、できるだけ多くの人にうけてもらいたい。

友人のヒカルドから教えてもらったポルトガル語文法がのった本でただ今一から勉強中。知らずに使っていた目からウロコの文法もあり、かなりよい。↓
http://www.hmv.co.jp/artist_%E5%85%BC%E5%AE%89%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%A2%E5%85%B8%E5%AD%90_200000000282281/

2012年8月16日木曜日

ブラジルの誕生会(たんじょうかい)

今日(きょう)はこちらの誕生日(たんじょうび)の祝い方(いわいかた)について。

日本(にほん)で友達(ともだち)に「~さん、あした誕生日なの?」ときかれたら、まず何も(なにも)考えず(かんがえず)にイエスかノーかを答える(こたえる)と思う(おもう)。

なぜかというと、自分(じぶん)の誕生日だからパーティーをどうするか、ケーキをどうするかなんて考えなくてもいいし、自然な(しぜんな)会話(かいわ)が成り立つ(なりたつ)から。

ところが、ここマナウス(どうやらブラジル全国(ぜんこく))では誕生日の本人(ほんにん)がケーキを持って(もって)ほかの人(ひと)にもてなすのが普通(ふつう)だったりする。

というわけで、「あしたは私(わたし)の誕生日。」とブラジル人にいうと、「おめでとう。じゃぁ、あしたはケーキが食べられる(たべられる)んだ。」といった会話(かいわ)になる場合(ばあい)が多い(おおい)。

もちろん授業(じゅぎょう)でも同じ(おなじ)。

生徒(せいと)がクラスの友達にむかって、「来週(らいしゅう)はぼくの誕生日だから、プレゼントよろしくー。」なんてきまって言うと(いうと)、「じゃぁ、ケーキがあるんだね。」という答えになる。

日本では誕生会をするとなると、もちろん本人がケーキやごちそうを準備(じゅんび)して、友だちなどをよぶが、友達がしてくれることもある。

ここの子どもがする誕生会は色々な(いろいろな)かたちのものがあるが、日本では考えられないほど豪華な(ごうかな)誕生会を普通(ふつう)にしてしまう家庭(かてい)も少なく(すくなく)ない。

誕生会にきてくれたお客(きゃく)さんに自由(じゆう)にとってもらう

特に(とくに)女の子(おんなのこ)の15歳の誕生日は大人(おとな)への仲間入り(なかまいり)できる年令(ねんれい)として、お父さん(おとうさん)と一緒(いっしょ)にワルツを踊り(おどり)社交(しゃこう)デビューするという習慣(しゅうかん)があるので、パーティーが結婚披露宴(けっこうひろうえん)なみのことも多い。

中(なか)にはそういうパーティーをしないで、その分の費用(ひよう)を旅行(りょこう)にあてる人もいる。

いずれにせよ、立派(りっぱ)な誕生会をしようと思う(おもう)と、結構(けっこう)大変(たいへん)。

カップケーキまでキャラクター…

2012年8月2日木曜日

完全(かんぜん)と完璧(かんぺき)のちがい

先日(せんじつ)またまたチアゴ先生(せんせい)からいい質問(しつもん)が。

「完全(かんぜん)」と「完璧(かんぺき)」のちがいは何(なん)ですか。

はい、はいそれは…とポルトガル語(ご)に訳(やく)してみると、彼(かれ)が言った(いった)とおり、同じ(おなじ)訳になってしまう…。

勉強(べんきょう)しているな~、チアゴ先生。

というわけで、また例文(れいぶん)を考える(かんがえる)ところから始めた(はじめた)。

「完全」を使った(つかった)例文(れいぶん)

1.完全に解決(かいけつ)できるまで、帰らないで(かえらないで)ください。
2.プレゼントのことは完全にわすれている。
3.この服(ふく)が完全に乾く(かわく)まで、ここに干して(ほして)おいてください。
4.完全燃焼(かんぜんねんしょう)

「完璧」を使った例文

1.あなたの日本語(にほんご)は完璧です。
2.(できあがった作品(さくひん)をみて)完璧だ。
3.彼は仕事(しごと)を完璧にこなす。

他(ほか)にも色々(いろいろ)と例文を考えて(かんがえて)みたところ、次(つぎ)のような結論(けつろん)にたどりついた。

「完全」も「完璧」も「文句(もんく)をいう必要(ひつよう)がないくらい」の意味(いみ)があるが、「完全」にはもっと広い(ひろい)意味がある。

完全には他に「全体(ぜんたい)」、「全部(ぜんぶ)」、「健全さ(けんぜんさ)」の意味もある。

特(とく)に、「完全に」には「すっかり」、「全く(まったく)」の意味があるが、「完璧に」にはこの意味がないので、同じように使うことはできない。

これに対して(たいして)「完璧に」は「欠けて(かけて)いるものが全くない」という意味が強い(つよい)。

また、「完全」はいつも「完全な」、「完全に」のように形容詞(けいようし)か副詞(ふくし)のかたちで使うか、「完全無欠(むけつ)」、「完全試合(じあい)」のように、他のことばをつけて使う。

しかし、「完璧」は他のことばをつけて使うことができないし、「完璧だ。」のように「~な」、「~に」をつけないで使うこともできる。

私がたどりついた答え(こたえ)は以上(いじょう)。

日本語学習者(がくしゅうしゃ)は勉強すればするほど、色々な疑問(ぎもん)がわいてくる。私たち日本人は子どものころから慣れた(なれた)感覚(かんかく)で日本語を使っているので、ちょっとしたニュアンスのちがいがわかる。

でも、日本に住まない(すまないで)、限られた(かぎられた)時間(じかん)で、日本語を勉強している人にとっては、このちょっとしたニュアンスのちがいがとても大事(だいじ)になってくる。

今回(こんかい)のチアゴ先生の質問もとってもいい勉強になった。私も一生懸命(いっしょうけんめい)勉強しないと。