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2012年4月30日月曜日

教案(きょうあん)の大切さ(たいせつさ)

土曜日(どようび)は日本語(にほんご)の勉強会(べんきょうかい)。「教案(きょうあん)の書き方(かきかた)」について、日本語養成学校(にほんごようせいがっこう)に通って(かよって)いたころ、私が先生(せんせい)に教えて(おしえて)もらったことをここの先生方にお伝え(つたえ)した。

教案は「先生になったとき、必ず(かならず)教案を書くことから始める(はじめる)。」というくらい大事(だいじ)なもの。その中(なか)には、授業(じゅぎょう)で何(なに)を教えるか、授業の流れ(ながれ)がびっちり書かれている。

教案の例
 説明(せつめい)を短く(みじかく)、生徒にわかりやすくしたり、授業の流れがめちゃくちゃにならないように、映画(えいが)の台本(だいほん)を作る(つくる)ように作る。

土曜日はグループを4つに分け(わけ)、教案作りをしてもらった。

このグループの先生たちの教案はとってもていねい
このグループの先生たちは一番(いちばん)早く(はやく)教案が書けた
このグループの先生たちは教案を細かく(こまかく)書いていた
こちらはベテラン先生グループ

私がこのような形(かたち)で発表(はっぴょう)するのは初めて(はじめて)。自分(じぶん)が先生から教えてもらったのもずいぶん前(まえ)のことだったので、どのようにして教えたらいいのか、どのように始めたらいいかを考えた(かんがえた)。ところが…

作業(さぎょう)してもらっているうちに私は「失敗(しっぱい)した!」と思った(おもった)。教案作りが終わったら(おわったら)各(かく)グループに発表(はっぴょう)してもらおうと思っていたが、先生たちの初めての教案作りにかかる時間が、予定(よてい)していたよりもかなり長く(ながく)なってしまい、発表する時間がなくなってしまった。

思えば、2時間しかないのに、教案の説明をして、教案を作ってもらい、さらに発表までとなると、到底(とうてい)2時間じゃ足りない(たりない)。それでも、イケるかな?と思ったのがそもそもの失敗だった。

結局(けっきょく)、発表を何とか1つのグループにしてもらった。そのグループがとてもよくできていたのが救い(すくい)だった。初めてとは思えないようなすばらしい教案を作り、しかも発表した授業はその時間通り(どおり)、スムーズに流れていった。

チアゴ先生とハファエル先生の授業(じゅぎょう)で盛り上がった(もりあがった)
すばらしい!!!このグループの先生たちは、頭(あたま)の中でよーく授業をイメージして、教案を作ったにちがいない。

いい教案ができると、授業がその教案とほぼ同じ(おなじ)ように進んで(すすんで)いく。生徒から質問(しつもん)されても、準備(じゅんび)できているので、落ち着いて(おちついて)答える(こたえる)ことができる。

私も日本語を教え始めたとき、教案を書くことから始めた。最初(さいしょ)は1時間くらいかかった。それからだんだんと慣れて(なれて)きて、もっと短い(みじかい)時間で書けるようになった。

今回の勉強会で、「教案が大事だ」ということに気づいてくれた先生は何人(なんにん)いるだろう…。私の発表はかなり不満(ふまん)が残った(のこった)けれど、これを機(き)に、教案を書き始めてくれる先生がいたら、少し(すこし)は意味(いみ)があったかな…。

2012年4月29日日曜日

「は」と「が」の違い(ちがい)

先日(せんじつ)、聞かれた(きかれた)質問(しつもん)。

みんなの日本語(にほんご)第10課(だいじゅっか)の文型(ぶんけい)にでてくる、

1.あそこに佐藤(さとう)さんがいます。
2.机(つくえ)の上(うえ)に写真(しゃしん)があります。
3.家族(かぞく)はニューヨークにいます。
4.東京(とうきょう)ディズニーランドは千葉県(ちばけん)にあります。

の中(なか)での、助詞(じょし)「は」と「が」のちがいは何(なに)か。

私たちは普通(ふつう)、旧情報(きゅうじょうほう)の「は」、新情報(しんじょうほう)の「が」というふうに覚える(おぼえる)。

つまり「は」はその前(まえ)に何かの情報がある場合(ばあい)に使い(つかい)、何か新しい(あたらしい)情報をいうときには「が」を使う。

例えば、
1の「あそこに佐藤さんがいます。」といきなり言っても、OKだが、3の「家族はニューヨークにいます。」といきなりいうと、ちょっとびっくり。

3の場合は、それまで家族のことを話して(はなして)いて、そして「今(いま)はニューヨークにいる。」という流れ(ながれ)で使うのが自然(しぜん)だと思う。

4も同じ(おなじ)。それまでディズニーランドのことを話していたか、他の遊園地(ゆうえんち)について話していたかわからないが、4をいう前(まえ)に、何かそれに関係(かんけい)していることを話していたのが、自然だろう。

さらに、「は」は「強調(きょうちょう)」の意味で使うことも多い(おおい)ので、気(き)をつけなくてはいけない。

例えば、
3では、上(うえ)にあげた違い(ちがい)もあるが、「私はロサンゼルス住んで(すんで)いる。でも、家族はニューヨークにいる。」と強調する場合にも使うことができる。「あなたは帰り(かえり)たいかもしれないが、私はここにいる。」というように、「他の人は違うが、ある人はこうだ。」という場合に使う。

ただ、ここまで詳しい(くわしい)ことを10課レベルの生徒(せいと)に教える(おしえる)かどうかは迷う(まよう)ところ。

どちらにしても、生徒がこの「は」と「が」で混乱(こんらん)するのは間違え(まちがえ)ない。

「は」と「が」の参考(さんこう)サイト見つけました。↓
http://blog.livedoor.jp/eg_daw_jaw/archives/51628537.html
http://home.alc.co.jp/db/owa/jpn_npa?stage=2&sn=19

2012年4月15日日曜日

父(ちち)と父親(ちちおや)のちがいは?

昨日(きのう)の午前(ごぜん)に子どもたちのクラスを終え(おえ)、午後(ごご)からも健先生(けんせんせい)の代わり(かわり)にバイリンガルSクラスの授業(じゅぎょう)をした。

授業中の携帯電話(けいたいでんわ)の使用(しよう)やジュースなどを飲まない(のまない)ように注意(ちゅうい)すると、生徒(せいと)たちから「先生、厳しい(きびしい)~!!」とブーブー、ブーブー言われた(いわれた)。

何を言われようと私には痛く(いたく)もかゆくもないぞ!これが私の授業のルールだ!

さて、そんな授業の休憩中(きゅうけいちゅう)、またまたチアゴ先生に鋭い(するどい)質問(しつもん)をしてもらった。

「父と父親の違い(ちがい)はなんですか。」

生徒から聞かれ(きかれ)たのか、自分(じぶん)で疑問(ぎもん)に思った(おもった)のか。これはちょっと難しい(むずかしい)ぞ!と思って(おもって)、宿題(しゅくだい)にさせてもらった。

普段(ふだん)、意識(いしき)をして使い分け(つかいわけ)ない分(ぶん)、こうして聞かれてみると違いがわからない。

できるだけ例文(れいぶん)を作って(つくって)、ゆっくり考えて(かんがえて)みることにした。


「父」を使う(つかう)場合(ばあい)

1.息子(むすこ)が「この人が私の父です。」

2.息子が「私の父は教師(きょうし)でした。」

3.息子が「今日は父の命日(めいにち)です。」

4.息子が「父が私に車(くるま)を買って(かって)くれました。」

5.息子が「山本(やまもと)いちろうは私の父です。」

6.父親が「父として、この子を立派(りっぱ)に育て(そだて)たい。」


「父親」を使う場合

1.父親が「私はこの子の父親ですよ!」

2.父親が「私は父親として当然(とうぜん)のことをした。」

3.父親が「父親という立場(たちば)から言わせて(いわせて)もらいます。」

4.息子が「私には父親は存在(そんざい)しません。」

5.父親参観(ちちおやさんかん)


結局(けっきょく)、一日中(いちにちじゅう)考え(かんがえ)、


1.父と父親はあまり違いがないが、父のほうが(ひろい)使い方がある。

2.「父親」は子どもに対する(たいする)自分(じぶん)の立場を強調(きょうちょう)

  するときに使う。

3.「父親」はその子どもとの関係(かんけい)について説明(せつめい)するときに使う。


のではないか??という答え(こたえ)にたどり着いた(ついた)。

事務的(じむてき)に関係を説明するときにも「父親」と使う(つかう)のかもしれない。


本(ほん)で探して(さがして)も、インターネットで調べて(しらべて)も説明が見つけられなかった。本当(ほんとう)にこれでいいのか?はっきりと答えが見つからないと、モヤモヤしていて気持ち(きもち)が悪い(わるい)。

時間(じかん)があれば、他ほか)の日本人(にほんじん)にも例文を作ってもらって比べて(くらべて)いくと、もっと何かがわかるかもしれない。

 


2012年4月2日月曜日

習字(しゅうじ)の授業(じゅぎょう)

先週(せんしゅう)の土曜日(どようび)であやこ先生(せんせい)の代わり(かわり)に担当(たんとう)していたバイリンガルBクラスの授業(じゅぎょう)が終わった(おわった)。
ずっと教える(おしえる)ピッチをあげてきて時間(じかん)に余裕(よゆう)ができたので、最後(さいご)の授業は習字(しゅうじ)をすることにした。
生徒(せいと)みんなが初めて(はじめて)の経験(けいけん)ということもあり、まず筆(ふで)の持ち方(もちかた)や姿勢(しせい)から教えた(おしえた)。

昔(むかし)から、「字(じ)を見れば(みれば)その人がどんな人かわかる。」とよくいうけれど、習字というものはまさにその人の性格(せいかく)が出る(でる)ものだと思う(おもう)。

説明(せつめい)を聞かず(きかず)急いで(いそいで)書いて(かいて)しまう人、何度(なんど)も練習(れんしゅう)をしてから慎重(しんちょう)に書き始める(はじめる)人、自分(じぶん)では書かず私が書いたもので満足(まんぞく)する人、もちろん書いた字にそうした心(こころ)が全て(すべて)でてくる。普段(ふだん)見ることができない生徒たちの一面(いちめん)が見れておもしろかった。

慣れない(なれない)みんなも、何度(なんど)も手(て)を持ち(もち)練習(れんしゅう)しているうちに、払い(はらい)や止め(とめ)が上手(じょうず)になってきた。

精神統一(せいしんとういつ)をしていないと満足した字がなかなか書けない。もしも家(いえ)で機会(きかい)があれば、ここで習字道具(どうぐ)をそろえるのは大変(たいへん)なので、筆を使わなくてもいいペン習字でもしてくれればうれしい。

習字のサイト見つけました。↓
http://www.geocities.jp/yokomoko3/mokuzi.html

ペン習字のサイトも見つけました。ダウンロードをして字を練習(れんしゅう)ができます。↓
http://www.penji-mikata.com/