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2011年9月30日金曜日

子どもクラスの生徒(せいと)たち

今日は子どもクラスの授業(じゅぎょう)があった。クラスは10人。年齢(ねんれい)は8歳(さい)~13歳。9割(わり)が日系人(にっけいじん)。非(ひ)日系人はダニエル君(くん)だけ。でも、よくがんばっている。てつや君、ゆかりちゃん、ひろき君は日本にも住んで(すんで)いたことがある。リエちゃんとアマンダちゃんはおとなしいが、一つ一つの課題(かだい)をていねいにする。さらちゃん、みゆきちゃん、花ちゃんは日本人と変わりなく(かわりなく)お話(はなし)できる。カリウ君はムードメーカー。

色々(いろいろ)な性格(せいかく)の子どもがいる。声(こえ)が大きい子(おおきいこ)、小さい子(ちいさいこ)、字が上手(じょうず)な子、教科書(きょうかしょ)を縦(たて)にして体(からだ)をよじりながら字(じ)を書く(かく)子。みんなそれぞれの個性(こせい)があって、みんな必ず(かならず)いいところがある。

漢字を書く時(とき)に体(からだ)がよじれていれば、それを直して(なおして)書かせる。書き順(じゅん)を間違って(まちがって)書いたら、注意(ちゅうい)する。話(はなし)が止まらない(とまらない)子がいたら、その子にたくさん質問をして答えてもらう。 休み時間が終わってもジュースを飲んでいる子がいたら、教室(きょうしつ)の外(そと)で飲み終えて(のみおえて)もらい、授業中(じゅぎょうちゅう)に飲み食い(のみくい)はさせない。

私と子どもたちとの間(あいだ)にルールがある。子どもたちは素直(すなお)にそれを聞いてくれる。子どもたちがかわいくでしょうがない。そして、その子どもたちが私よりも大きくなって、それでも先生と呼んで(よんで)くれるのがうれしい。 日本語を続けて(つづけて)勉強(べんきょう)してくれるのが、本当に(ほんとうに)うれしい。

マナウスって…

みんなが抱く(いだく)マナウスのイメージって、どんなのだろう。

こんな感じ(かんじ)?


それともこんな感じ?
 ブロッコリーみたい…。

でも本当(ほんとう)のマナウスって、こんな感じ。
ネグロ河の河岸

こんなものがある。
アマゾナス劇場
劇場の中
 こんなものもある。
リオ・ネグロ宮殿
ネグロ河沿い

11年前(まえ)、はじめてマナウスを上空(じょうくう)から見たとき、思わず(おもわず)「すごい!!!」と言った(いった)。
ジャングルジャングル、森(もり)!森!森!それが、その森をぬけると突然(とつぜん)ビルばっかりの街が目に入ったから。
ショックだった。
今はあの頃(ころ)よりも、もっと、もっと森が減って(へって)いっている。
マンションばっかり増えて(ふえて)、木がバッサバッサと切られて(きられて)いる。

この先(さき)、どうなっていくんだろう…。マナウス。

外国人学習者(がいこくじんがくしゅうしゃ)のクセ

日本で日本語を教えて(おしえて)いたころ、中国人(ちゅうごくじん)と韓国人(かんこくじん)の生徒(せいと)が多かった(おおかった)。中国人の生徒は漢字(かんじ)もよく知って(しって)いるので、言葉(ことば)や文法(ぶんぽう)を覚える(おぼえる)のがとても早かった(はやかった)が、問題(もんだい)はイントネーションだった。

韓国人の生徒も、中国人生徒と並んで(ならんで)文法等(とう)を理解(りかい)するのがとても早かった(はやかった)が、問題は発音(はつおん)だった。

アメリカ人の生徒の特徴(とくちょう)は、やはり日本語を強弱(きょうじゃく)で発音しようとしていることだった。日本語のアクセントは英語(えいご)と違って(ちがって)高低(こうてい)アクセント。つまり強さ(つよさ)を変えて(かえて)発音(はつおん)するのではなく、どちらかといえばイントネーションがポイントなので、強弱アクセントに慣れて(なれて)いる彼ら(かれら)にとっては、かなり難しかった(むずかしかった)に違いない(ちがいない)。

他(ほか)にもペルー、メキシコ、ブラジル、ドミニカ、ロシア、ウクライナ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、モンゴル、フランス、ドイツ、タイ、インド、カザフスタンなどなど、まだまだいたはず。でも地理(ちり)がとっても苦手(にがて)な私(わたし)が、全部(ぜんぶ)思い出す(おもいだす)のはかなり難しい(むずかしい)…。当時(とうじ)私が聞いた(きいた)ことのない国(くに)の生徒もいた。

ここブラジルの生徒は、もちろん人によって個人差(こじんさ)があるが、アメリカ人と同じく(おなじく)強弱アクセントを使う(つかう)人が多いように思える。強弱アクセントで話すポルトガル語(ご)を国語(こくご)としているので納得(なっとく)はできるが、一度(いちど)そのように癖(くせ)がついてしまうと、直す(なおす)のが結構(けっこう)難しい。だから、一番(いちばん)最初(さいしょ)にどんな先生に習う(ならう)かが重要(じゅうよう)なポイントになってくる。

私が今教えている日伯日本語学校は(再び(ふたたび)説明(せつめい)するが)、今とてつもなく大きい。だから日本語を教えている先生も20人を超える(こえる)。初級(しょきゅう)クラス担当(たんとう)の先生も色々(いろいろ)。生徒が話すイントネーションを聞くと、担当の先生と全く同じだったりする。そういう意味でもかなり改善(かいぜん)が必要(ひつよう)だと思う。

2011年9月29日木曜日

今の日本語学習者って…

私が日本語(にほんご)を教えて(おしえて)いるところは西部(せいぶ)アマゾン日伯協会(にっぱくきょうかい)というところ。日本語の授業(じゅぎょう)は第一期(だいいっき)(2月~6月)と第二期(だいにき)(8月~12月)に分かれて(わかれて)いて、たいてい第一期は600人、第二期は400人~500人が入学(にゅうがく)する。ブラジル内(ない)においても恐らく(おそらく)最も(もっとも)生徒(せいと)の多い(おおい)学校(がっこう)だと思う(おもう)。


私がJICAの青年(せいねん)ボランティアで派遣(はけん)された2000年は、今の半分(はんぶん)の生徒数にも満たない(みたない)、こじんまりとした学校だった。それが、土曜日の午後でも授業が受けられる(うけられる)ようになった4、5年前(くらいだったと思う)から、みるみるうちに生徒(せいと)が増えて(ふえて)いった。


ここ、マナウスにはフリーゾーンの工業地帯(こうぎょうちたい)があって、日本の企業(きぎょう)も40社(しゃ)以上(いじょう)進出(しんしゅつ)している。日本人出向者(しゅっこうしゃ)も多い。そうした会社で働いて(はたらいて)いるブラジル人はとてつもなく多い。ということで、「少しでも仕事がしやすくなれば」とか、「上司(じょうし)と日本語で会話(かいわ)ができれば」と日本語を習い(ならい)に来る人も多かったりする。


そうした人たちも、最初(さいしょ)は「すぐに日本語を話せる(はなせる)ようになって、上司とコミュニケーションをとる!」と夢(ゆめ)見てくるのだが、日本語を覚える(おぼえる)のはそう甘く(あまく)ない。半年(はんとし)勉強(べんきょう)してもすぐに成果(せいか)が見られないと、あきらめてしまう人も少なくない。


一方(いっぽう)で、最近特(とく)に増えてきているのが、日本のアニメファンの生徒たち。「アニメなんて!」などと、侮れない(あなどれない)。「日本のアニメを日本語で見たい!」と思ってくれるのなら、これまた立派(りっぱ)な動機(どうき)。更(さら)にコスプレなんかも流行っていて(はやっていて)、グループまでできてしまったらしい。一年に何度(なんど)かそうした話題(わだい)が地元(じもと)の新聞(しんぶん)に載って(のって)いるところを見ると、なかなか好きな人も多いのでは。しかし、私としては未だに(いまだに)抵抗(ていこう)を感じる(かんじる)のは、おばさんになった証拠(しょうこ)だろうか

2011年9月28日水曜日

今までの私(わたし)

ちょうど20年前(ねんまえ)、高校(こうこう)の語学研修(ごがくけんしゅう)で初めて(はじめて)アメリカへ行き(いき)、一か月(いっかげつ)ほどホームステイをさせてもらった。ホームステイ先(さき)に3人の小さい(ちいさい)男の子(おとこのこ)がいて、ことあるごとに「日本語(にほんご)でなんていうの?」と聞いて(きいて)きた。始め(はじめ)のうちは簡単(かんたん)に答えて(こたえて)いたが、いくつか難問(なんもん)に当たった(あたった)のを覚えて(おぼえて)いる。「日本人ていっても、結構(けっこう)日本語をわかってないもんだなぁ。」と思った(おもった)。

日本に戻って(もどって)から、本屋(ほんや)で『日本語教育能力検定試験(にほんごきょういくのうりょくけんていしけん)』という問題集(もんだいしゅう)を見(み)つけて買った(かった)が、中身(なかみ)を見てみたら、あまりおもしろそうではなかったので興味(きょうみ)を失くし(なくし)、そのまま部屋(へや)の本棚(ほんだな)にしまっておいた。

大学(だいがく)を卒業(そつぎょう)し、そのまま就職(しゅうしょく)をする予定(よてい)だったが、地下鉄(ちかてつ)で日本語教師養成学校(にほんごきょうしようせいがっこう)のチラシを見て急に(きゅうに)興味がわいてきた。結局(けっきょく)、突然(とつぜん)進路(しんろ)を変え(かえ)、その学校に通う(かよう)ことにした。

半年(はんとし)で学校を卒業(そつぎょう)し、その後(あと)、札幌(さっぽろ)のにほんごボランティアグループ「STEP.J!」に所属(しょぞく)しながら2年(ねん)ほどいろいろな国(くに)の人に日本語を教えた(おしえた)。当時(とうじ)、このグループはまだできたばかりで、先生を担当(たんとう)した者(もの)もアシスタントの者も、ほとんどが経験(けいけん)のないものだった。それが逆に(ぎゃくに)良かった(よかった)のではないかと思う。グループのメンバーは皆(みな)教案(きょうあん)をまじめに作り(つくり)、会議(かいぎ)を頻繁(ひんぱん)に行い(おこない)、研修(けんしゅう)があるごとに参加(さんか)した。生徒の身(み)になって、みんなが授業(じゅぎょう)を計画(けいかく)した。生徒も着々と(ちゃくちゃくと)増えて(ふえて)いった。

この経験があったからこそ、今の私があると思う。生徒の質問(しつもん)に答える(こたえる)ことによって、自分(じぶん)の勉強(べんきょう)になり、生徒の成長(せいちょう)も見る(みる)ことができる。1年前(まえ)に全く(まったく)話せなかった(はなせなかった)生徒が、普通(ふつう)の会話(かいわ)を話せるようになる。見ていて、生きがい(いきがい)を感じた(かんじた)。

時間(じかん)がたつのは本当に(ほんとうに)早い(はやい)。手探り(てさぐり)状態(じょうたい)で始めた(はじめた)日本語の授業も、来年(らいねん)で15年を迎える(むかえる)。今まで教えてきた生徒の数(かず)も、1千人(せんにん)は超えた(こえた)。道(みち)で昔(むかし)の生徒に声(こえ)をかけられても、すぐに名前(なまえ)が出てこない(でてこない)。
「あ~、あの子、8年位前(くらいまえ)に教えたな…。ちょっとふっくらしたな…。…で、名前何だっけ???」
私はこれが一番(いちばん)嫌い(きらい)。名前を覚えて(おぼえて)いないのがとっても失礼な(しつれいな)ことだと感じる。だって向こう(むこう)は「きょうこせんせ~い!!」って声をかけてくれるから。意地(いじ)でも思い出そう(おもいだそう)とする。思い出すのに5分(ふん)はかかる。たまに10分。でも、最近(さいきん)はこれすらできない…。

ネットなどに疎い(うとい)私がブログを始めようと思ったのも、こうしたことを回避(かいひ)するため。生徒のことや、生徒が出してくれた質問(しつもん)を日記(にっき)のように書き留めて(かきとめて)おきたい。思い出したくても思い出せないことでも、これを見てパッと思い出せるように。根(ね)がマメな方(ほう)じゃないので毎日(まいにち)の更新(こうしん)は無理(むり)だと思うけど。